あなたにとって何ですか

2024年09月15日

マルコによる福音書 8章27~38節

 本日の福音書はマルコから、イエスが自分のことについて弟子たちと話す場面です。周りの人がどのようにイエスのことを言っているのかを弟子たちに聞くと「洗礼者ヨハネ」とか「エリヤ」とか「預言者の一人だ」などとの答えが返ってきます。そこでイエスがペトロに聞くとペトロは「あなたはメシアです」と告白するのです。そう答える一方で、ペトロはイエスが「人の子は必ず多くの苦しみを受けて殺され、三日後に復活する」と言い出した時に、脇へ連れ出してイエスを諫めようとして「退け、サタン」と叱られてしまいます。最後にイエスは「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と人々に教えるのです。

「あなたにとってイエスとはどんな人ですか」と聞かれたらどう答えますか。「神さまです」とか「優しい人です」と答えますか。「厳しい人です」という評価もあるでしょうし、「歴史上の人物です」というとらえ方もありますね。人というのはとっても多くのとらえ方ができるものです。教会的に正しい答えは「イエスは神であり、人であって、救い主で・・・・」と、使徒信経のように答えることでしょうか。でもなんだか、それじゃあ面白みがないような気もしますね。

ここでひとつ大事なのは、別にイエスは「正しい答え」を強要しているわけではないということです。そうではなくて、大事なのは「あなたにとって」ということなのです。ペトロは弟子たちを代表してイエスにある意味正しい答えを返したわけですが、その後の反応でわかる通り、言葉としては正しく答えているのですが、中身は全然違うことが明らかになっています。イエスにとって「メシア(救い主)」とは十字架につけられて世を救うものでしたが、ペトロにとっての「メシア」は実際にローマの支配から解放してくれる指導者だったからです。しかしイエスはペトロを叱責はしますが、決して見捨てることはありませんでした。繰り返し自分のことを話し続け、最後に、まぁ十字架の出来事を過ぎてからのことですが、ペトロは気がついて、イエスが去った後の世界でもイエスの教えを伝えて生き続けることになりました。ペトロは弟子として優秀であったわけではないと思えます。これだけ聖書にペトロが失敗したことが描かれているからです。しかしそれにもかかわらずイエスはペトロを愛し、ペトロもまた、イエスから離れることはありませんでした。逆説的に考えれば、ペトロはなかなか正しい答えに至らなかったのですが、その過程があることで、ものすごく得難い体験をしたのかもしれませんね。そのことで、普通には感じられないイエスの側面も感じていったのかもしれません。

「あなたにとって何ですか」という問いは、教会に足を運ぶわたしたちにとって、とても大切な問いです。ある意味で、わたしたちがどれだけ「イエス」という存在に向き合っているかも問われているからです。あまりに思い込みが激しいと、聖書にあるイエスの言葉で躓いてしまうこともあります。「イエスさまがこんなこと言うわけない」という言葉を聞いたこともあります。逆に思い込むと「怪しい」と疑うだけになってしまって、やはりイエスの姿は見えてこないでしょう。この問いには、別に正しい答えがあるわけではありません。人によって違うものですし、それでいいのです。自分の体験で大きく答えが変わることもあるでしょう。大切なのは、「こうだ」とすべて決めてしまって動かさないことではなく、時々この問いを引っ張り出して考えてみることです。そうすることで深まる思いや考えがたくさんあるのです。「あなたにとってイエスとは何ですか」と考えることを大切に、信仰の道を歩んでいきましょう。


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