あなたにとって大切なひとつ

2022年07月17日

ルカによる福音書 10章38~42節

 今週の福音書は「マルタとマリア」のたとえ。これももう、誰もが知っているお話ですね。忙しく立ち働くマルタとイエスの話に聞き入るマリアの姿が対比されています。

 仕事をしている時、家事をしている時、いくつものことが同時並行的に動いていることがあります。こちらにメールをして返事を待っている間に別の書類を仕上げてみたり、こちらでイモを茹でている間に別の野菜を刻んだり、などなど。でも、いくつものことが同時に動いているように見えますが、結局自分の目の前にあるのは「一つ」だけなんですよね。わたしたちの体は一つしかないので、結局一つのことしか一度にできないものです。左右の手で野菜を刻んだり、同時に二つのメールを打ったりはできません。両手を使っても追いつかないことがあります。そして「やらなきゃいけない」と同時並行で取り組むことがいくつもあると、普通に一つ一つやるよりかえって疲れてしまったり、全体がうまくいかなくなってしまったりすることもあります。マルタもきっと「イエスさまをおもてなししよう」と、様々なことを考えて立ち回っていたのでしょう。それこそ食事の準備をし、家を掃除し、くつろげるような準備もし、他のお客さんのための準備もして・・・などなど。考えることはたくさんあります。「大丈夫大丈夫。少しくらい適当でいいよ」なんて言ったら怒られてしまいそうですね。もしかしたら主教さんをお迎えしようとする教会も、同じようなものかもしれません。だからこそ、イエスの話に聞き入るマリアにイライラして、イエスに訴えたのでしょう。しかしイエスは「あなたはいろいろなことに気を遣い、思い煩っている。しかし、必要なことは一つだけである。」と返すのです。

 教会にもしなくてはならないことが沢山あります。世界は広すぎて、隅々まで神さまのことを伝えるのもまだ途上です。それ以外にも社会にはたくさんの理不尽なことがあって、考えなくてはならないことがあって、不平等もたくさんあって、差別もあって、たくさんたくさんやることがあるのです。いくらやっても「神の国」がこの世に来ることがあるのだろうかと思ってしまいます。だから時々、のんびり信仰生活を送る人たちに「あなたたちは何もわかっていないんだ!」とか「無知は罪なんだぞ!」と叫んで責めたくなってしまったりするのです。教会の中でもそうです。教会の建物の痛みが激しくなっています。一方で信徒の数がだんだん減っています。あれもしなきゃこれもしなきゃと考えてしまいます。いろいろなことに気を遣って思い煩ってしまうのです。

 わたしは、自分の取り組めることは「一つ」なのかな、と思っています。色々なことを同時並行で行っているように見えても、目の前にあるのは「一つ」なのです。それは多分、神さまがわたしたち一人一人に与えてくれた「必要なこと」なのだと思います。その「一つ」は神の国を広めるために「必要な一つ」なのです。そしてその状況は一人一人違います。与えられた課題も違います。ある人が一生懸命動き回っている時に、別の人が話を聞いているだけかもしれない。休んでいるかもしれない。でも、キリスト者として生きている人は必ず神さまによって使命が与えられています。

 あなたにとって「必要なひとつ」とは何でしょう。「神の国」を広める上で大事なことは何でしょう。それがなんであるのか、ちょっとだけ手を止めて見出してみませんか。そして、自分以外の人にも「必要なひとつ」があることを知りましょう。誰もが神さまに「必要なひとつ」を与えられています。それを見出して進んでいきましょう。


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