その名によって
ヨハネによる福音書 17章20~26節
先週の木曜日が昇天日でした。ですから今はイエスが天の国に去ってしまって、そして聖霊が降される聖霊降臨日までの間の11日間です。ちょっとだけ、神さまの守りが弱いような気がして不安になるそんな日々です。聖餐式の前に「Thy Kingdom Come」をお祈りしましたが、これはこの期間が「不安な期間」などではなく「聖霊が来るまでの大事な準備の期間」であることを示すための大事なお祈りです。
そんなただ中の今日の福音書は最後の晩餐の後にイエスが語った場面から。時々「告別説教」などと言われますが、イエスが弟子たちに世を去る前に様々なことを語り聞かせた部分です。この「説教」の最後にイエスは父なる神に向かって「わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共にいるようにしてください」と祈ります。イエスはこの後逮捕され、十字架にかけられます。弟子たちの前からいなくなるわけです。そしてまた「復活」という形で戻ってくるわけですが、それが「昇天」の後、わたしたちの前から去って、また「戻ってくる」という約束と重なるということで、この聖書の個所が選ばれています。
イエスは最後に「わたしは彼らに御名を知らせました」と祈ります。「御名」、要するに神さまの名前のことですが、残念ですがその名が何であったのかわたしたちの所には伝わっていません。わたしたちが知っていてよく唱えるのは「イエス」という名前だけです。
しかし、この「イエス」という名前が重要なのです。イエスの名は「主はわが救い」という意味があります。お祈りの時に「イエスさまのお名前によって」と唱えます。(言い回しは色々ありますが)これは「わたしの名によって祈るように」とイエスが繰り返しわたしたちに教えたからです。そして「わたしの名によって願うなら、父はなんでも与えてくださる」とも言っています。イエスの名前によって祈ること、ましてやイエスの名前を言うということは、わたしたちにとって一番短い信仰告白でもあるのです。イエスの名前を唱えるごとに「神さまがわたしを救ってくれる」と言っているのですから。
わたしたちは祈ります。何度でも。父なる神に、イエスの名によって。苦しいとき、何を祈っていいかわからない時、「イエスさま」と名前を呼ぶだけでも良いのです。イエスの名前は「神さまがわたしを救ってくれる」ですから、言葉が出なかったとしても、心にあるその思いを、聖霊が神さまのところに間違いなく届けてくれるのです。だからこそ、わたしたちはイエスの名前を多くの人々に知らせます。それが教会です。そしてそれは、教会に関わる色々な人を大事にするところであり、訪ねてくる人を大事にするところであるということにつながります。そうしている限り、神さまはわたしたちと共におられます。
来週はいよいよ聖霊降臨日です。父なる神の所から聖霊が遣わされる日です。わたしたちを毎年強めてくれる日です。イエスの名によって祈りつつ、その日を待ち望みましょう。