栄光の姿を見る

2022年02月27日

ルカによる福音書9章28~36節

 今日は大斎前主日。いよいよ水曜日から大斎節が始まります。この週の福音書は「主イエスの変容」がマタイ、マルコ、ルカのいずれかから必ず読まれることになっています。「主イエスの変容」の記念日が8月6日にありますから、そちらでもよいと思うのですが「必ず」「主日に」「主イエスの変容」が読まれることが、実は大切なのかなと考えています。

 どの福音書でも同じですが、ペトロ・ヤコブ・ヨハネの3人を連れて山に登ったイエスのところにモーセとエリヤが現れてイエスと語らい、ペトロたちが動揺します。そこでイエスの姿が変わるのですね。そして「これはわたしの子」という声が天から聞こえる、という話です。細部はもちろん各福音書で違いますが、大筋は変わりません。つまり「イエスの姿が変わった」ということ、そして神さまがイエスに対して「わたしの子」と言ったことが、教会にとってこの主日に大切にしたい出来事なのだということです。

 「イエスは神の子」であるというのは、わたしたち教会に集うものにとって当たり前のことです。でも、当たり前すぎて意味を考えることを忘れてしまったりします。何かを忘れないように、壁に張り紙をしたりメモを貼ったりすることがありますが、貼ってあるのが当たり前になって、ただの風景になってしまって、結局忘れてしまうことってよくあるのではないでしょうか。続けることができる人ならいいのでしょうけど、わたしみたいな三日坊主は、目標ややることが貼ってあってもなかなか取り組むことができません。糖尿病予防のために始めたウォーキングを、凍って外が歩けなくなったのでエアロバイクに変えたら、なぜか全然取り組めなくなってしまいました。毎日「やることリスト」を作ってやっても忘れてしまったりもするのです。全く頭から抜けているわけではないのですが、ともすれば忘れてしまう。多分ですが、わたしだけがおかしいのではないはずです。みなさんも、そんなことってあるのではないでしょうか。だからこそ、教会の聖書日課も、人間がともすれば忘れがちになってしまうからこそ、毎年同じ時期に同じ聖書の個所を読ませるようになっているのでしょう。

 わたしたちの信仰の中心は「イエスが神の子」であり、十字架にかかって死んでよみがえったことです。そのことを思い返す時期が今から始まります。それが大斎節です。その前に「イエスは神の子」ということを強く思い起こさせるために、今日の聖書箇所は置かれています。イエスはモーセの律法、エリヤに始まる預言者たちを受け継いだ「神の子」です。イエスの栄光の姿、わたしたちは何度も見ています。でも、何度見ても「わかってるよ」とするのではなく、きちんと確認することが大事です。点検を怠って大変なことになっている事例はそこかしこにあります。自分自身にとって、「イエスが神の子である」ことがどんな意味があるのか。どんな風にわたしたちはそのイエスと出会ったのか。思いめぐらすことはたくさんあるはずです。信仰の中身を一つ一つ点検しましょう。変化していることもあるかもしれません。変化はしていいのです。イエスも普段とは違う「栄光の姿」に変わっていったのですから。そしてみなさんが今年も良い大斎節を過ごすことができますように。


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