炎と風と息と
ヨハネによる福音書20章19~23節
本日は聖霊降臨日。約束通り送られた聖霊が祈る弟子たちのところに現れます。福音書では復活後のイエスが弟子たちに聖霊を送る場面が読まれました。
「聖霊」は、わたしたちのところに様々な姿で現れます。一つは炎の姿。使徒言行録で祈る弟子たちに現れた姿です。わたしたちの心を燃え立たせ、神さまの言葉を語らせる舌でもあります。ですから今日の祭色は「赤」を用います。炎の色というわけです。
そしてもう一つは風の姿です。使徒言行録でも激しい風のような音が起こったとありますね。釧路、特にこの教会のある場所は風が強いところでもありますね。風というのは様々な吹き方をします。穏やかな時もあれば、すべてを吹き飛ばしてしまうような強さを持つ時もあります。その風によって、様々なものが運ばれてきます。今、ちょうどたんぽぽの綿毛が園庭にありますが、これが風によって舞い上がり、あちこちに運ばれて芽を出し、来年また咲くようになります。聖霊の風に乗って神さまのみ言葉が種のようにあちこちに飛び、そこで芽を出すのです。どこに飛ぶのかはわかりませんし、すぐに芽を出せる土地に落ちるとは限りませんが、いつか必ずその種は芽を出します。
最後の一つは「息」です。わたしたち人間が創造された時、神さまは鼻から神の息を吹き入れます。また、今日の福音書でもイエスは弟子たちに「息を吹きかけて」「聖霊を受けなさい」と言うのです。わたしたちがしている呼吸は神さまが与えたくださった聖霊がこの身に宿っているしるしです。
そして、もう一つ大事なことは聖霊はわたしたちがどこにいてもそこにやってくる、ということです。復活の主は、鍵をかけて閉じこもっていて誰も入れないはずの家の中に、祈る弟子たちの真ん中に現れました。聖餐式の初めに「主イエス・キリストよ、おいでください」とお祈りしますが、どんな奥まったところで祈っていても、イエスがわたしたちのところにやってきてくれることを、わたしたちはすでに信じているのです。同じように、神さまとイエスさまの遣わされた聖霊も、わたしたちを決して見捨てることはなく、どんなところでもやってきてくれるのです。
このように様々な姿をとる聖霊ですが、わたしたちにとって大切なのは、「聖霊」はいつでもどこでも、わたしたちの近くにいるということです。鈍いわたしたちが感じやすいように、様々な姿をとってくださっているのです。一人で不安な時も、ろうそくの炎の中に感じることができます。火を点けることができなくても、呼吸をする中で感じることができます。今どこにいるかわからない時でも、風を体に受けることで感じることができます。聖霊は神さまからのわたしたちへの贈り物です。
しかし一方で、聖霊の力はわたしたちが「感じることができない」とか「本当だろうか」と感じると弱まってしまうものでもあります。だからこそわたしたちは祈ってその力を強めるのです。わたしたちはお祈りの時、祭壇にろうそくを灯し、窓を開け、呼吸を整えます。こうやってわたしたちの内にいる聖霊が、わたしたちを力づけ、これからの1週間を神さまに遣わされた者として過ごすことができるようにしてくれるのです。今日の聖霊降臨日は、そのことを確認する大切な日です。聖霊に強められて、神さまに遣わされた者として、この世界を歩んでいきましょう。