神さまに信頼して

2022年08月07日

ルカによる福音書 12章32~40節

  本日の福音書はイエスが弟子たちに語った場面から「天に宝を積みなさい」ということと「目を覚ましていなさい」ということの2つのお話が読まれました。

 何事もそうなのですが「一寸先は闇」ということわざもあるとおり、わたしたちは自分の人生の先に何が起こるかを確実に知ることはできません。最近は天気くらいならまぁ割と予想ができるのですが、突発的なことは本当に予想ができませんね。でもイエスは「目を覚ましていなさい」とわたしたちにも呼びかけています。

 イエスの言う通り、きちんと予測していれば、みすみす盗人に入られる人はいないでしょう。いつ雨が降るか知っていれば濡れる人はいないでしょう。どんな研究の成果が出るか知っていれば、投資先に迷うこともありません。でも、そんなの予測できませんよね。じゃあ24時間起きていればいいのかと言えば、そんなことは人間には不可能です。他のことでも同じことです。神さまにはできても、人知の及ぶ範囲ではありません。「目を覚ましていなさい」と言われても困ってしまいますね。

 だからこそ「目を覚ましていなさい」という言葉の前に弟子たちに言ったことが生きてくるのです。そう「天に宝を積む」ということです。「自分の財産を売って施しなさい。古びることのない財布を作り、尽きることのない宝を点に積みなさい」とイエスは言います。ではこれはどのようなことでしょうか。

 実はこの話は先週の「愚かな金持ちのたとえ」とも連動しています。あの話では、有り余るほどの収穫を手に入れた金持ちが、それをすべて蔵にしまいこんで自分だけのために使おうとしますよね。そしてそうすることができなかったから「愚かである」というわけです。ですから今日読まれた部分の「自分の財産」というのは、「持っているものをすべて」ということではなく、「有り余っている物」のことです。自分の必要な分以上のものについてです。必要なものは神さまがきちんと与えてくれるので、わたしたちは余った分を「人のために使いましょう」ということです。そしてそれが「目を覚ましていなさい」ということにつながっていくのです。「いつその時が来ても、見られても恥ずかしくないように普段から行動していよう」ということです。そのために必要なものはいつでも神さまが与えてくれるのだと心得ていたいものです。

 わたしたちは色々な場面で、先の見通しをして悲観的になったり楽観的になったりします。でも、ここで大事なのは「神さまが必要なものは与えてくれる」という姿勢です。「神さまが必要なものは与えてくれる」のであれば、どんな未来が来ても大丈夫なはずです。だから安心して今を過ごすことができるし、人に与えることができるのです。

 さて、それではわたしたちはどうすればいいのでしょうか。まず「神さまが必要なものはすべて与えてくれる」と「神さまに信頼する」ことです。そしてそれから、わたしたちは自分のことをきちんとしましょう。そしてその上で、できる範囲で「周囲の人のために働く」ことです。「人のために」というと、わたしたちは何か特別なことをしなきゃいけないという思いにとらわれがちですが、そうではありません。挨拶をする、お話をする、気にかけるなど、人と丁寧に接することをまず心がけましょう。そして必要なところに献金をして、手助けが必要なら手を貸しましょう。決して無理をすることはありません。そうやってできてきたのが教会です。この教会と共に、釧路の、そして周辺地域に暮らす人たちのために、少しずつできることを考えていきたいと願っています。

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