見えない手助け
ルカによる福音書 10章25~37節
今週の福音書は「よきサマリア人」のたとえ。もう誰もが知っているお話ですね。多分解説はいらないと思います。それくらい皆さんが耳にタコができるくらい聞かされているお話です。わたしたちもこの「サマリア人」のようになりましょう、といえばそれで終わりですが、少し話を展開してみましょう。
このサマリア人は助けた後、宿を立ち去ってしまいます。(後で支払うと言っているので、そのうちまた立ち寄ることのできる人、常連だったのだろうと思われます。)助けられた人に自分のことを告げずに立ち去ってしまいます。助けられた人にとっては、気がついたら宿屋で介抱されていた状況だったのでしょうね。「知らない天井だ」という感じでしょうか。大きな手助けをされて、お礼をしたいと思っても、その人のことがわからないということはたまにあります。わざわざ言わない人も多かったりするものです。そのユダヤ人にとっては「見えない手助け」になりました。だからこそその受けたものを別の誰かに渡していくことが必要、人を助けていきましょう、そんな教訓になります。
わたしたちの生活は多くの人に支えられて成り立っています。わたしたちの食べている物、来ている服、持っている物、電気やガスや水道もそうですが、わたしたちに見えないところで、わたしたちは手助けされています。それらのことは「仕事」でもあるわけですが、その人たちがいなかったらわたしたちは生きていけません。わたしたちのしている「仕事」も、誰かにとっては「見えない手助け」でもあるのでしょう。
今日は「海の主日」。世界中で、船員たちや港湾関係の仕事をしている人たちのために祈る日です。この「船員」や「港湾関係者」の仕事って、わたしたちにとっての「見えない手助け」の一つです。世界中のものの9割以上が「船」を通して運ばれています。飛行機もバンバン飛んでいるのですが「船」の運搬能力にはかないません。わたしたちが今持っている物、食べている物のほぼすべてに必ず船員や港湾関係者が関わっています。国産の農作物なら、と言われることもあるのですが、そこで使われている肥料は海外からの輸入品ですし、産地から運ぶのにトラックや列車だけでなく船も使われています。船員や港湾関係者、もっと広げれば物流に関わる人たちが、わたしたちの生活を「見えない手助け」で支えているのです。
わたしたちの周りには「船員」や「港湾関係者」だけでなく「見えない手助け」をしてくれている人が多くいます。人の社会というのは複雑になっていてわかりにくいし見えにくくなっているのですが、わたしたちは常に「仕事」という形で誰かを助けて、また助けられているのです。だからこそわたしたちはいつも感謝を忘れないで生きていたいと思うのです。そしてもう一つ、助けたほうがいいのかなと感じたら、積極的に誰かに手を貸す人でありたいと思うのです。よきサマリア人も、別に「助けて」と頼まれたわけではありません。見て、助けたい」と思った自分の心に従ったのです。そしてまた、見返りを求めるということはありませんでした。「こうやって助けたんだぜ」とアピールすることでもありませんでした。それが、多くの人の隣人であるということです。
わたしたちが指針とする上で、別に難しいことは何もありません。仕事をしている人は、それは必ず誰かの助けになることですから、しっかりやりましょう。そして普段の生活でも困っていそうな人に対して積極的に手を貸す気持ちを持ちましょう。本当にただそれだけです。そうやって多くの人の隣人になっていくのが、キリスト者としての大切な在り方だと思います。