「「今日」「実現した」という宣言によって」
ルカによる福音書 2章14~21節
顕現節も第3主日になり、本日の福音書はルカに戻って、イエスがガリラヤで宣教を始め、故郷ナザレの会堂で教えたときの話が読まれます。イエスはイザヤ書を読み、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話します。このイエスの言葉は驚きをもって迎えられます。
確かに、このイザヤの言葉が「実現した」というのは驚きです。どう考えても、この時に「捕らわれた人が解放」されたわけもなく、「目の見えない人の視力が回復」したわけもなく、「打ちひしがれている人が自由」になったわけでもないからです。そして、そうなり続けたわけでもありません。現在も捕らわれている人がいますし、目の見えない人はいます。打ちひしがれている人もたくさんいます。決してそれらのことが「なくなった」わけではありません。
この当時のユダヤ教はエルサレムにある一つの神殿を中心に置いていました。だからこそユダヤの人々は大事なことがある時に寝殿に行って祈ります。少年イエスが神殿に行ったのも「過越祭」の旅の時でした。ある意味で人々の生活に「巡礼」が組み込まれていたと言えます。しかし一方で、エルサレムに住む人々は簡単に神殿に行くことができたのですが、離れたところ、特にガリラヤのような辺境に住む人々にとって神殿に行くことは一大事です。また信仰を守るのにも、聖書の言葉を近くで聞くことができたほうがよかった。だから各々の村や町に会堂が作られます。成人10人がいれば街道を自由に立てることができたようですね。だから人々は村や町に会堂を作ります。そしてその会堂はコミュニティセンターや集会所であり、聖書を学ぶ学校であり、礼拝をおこなう礼拝堂であり、もめごとがあった際の法廷でもありました。イエスが行った会堂はそんなところです。ナザレという自分の育った町の会堂、つまりイエスは仲間たちに囲まれた状況にあったということです。そして会堂での礼拝は司祭がいて格式のある神殿での礼拝と違い、聖書朗読と祈り、お話や寄付などの自由な形式でした。識者であるファリサイ派の人が先導することもありましたが、教えるというよりみんなで話すような形だったようです。だからイエスが話し始めたことも極めて自然なことでした。そしてこの「今日、実現した」という宣言が行われたのです。
「今日」という言葉には強い力があります。「実現した」というと「もう完了した」という意味に聞こえますが、そうではありません。イエスは時々、この「○○した」という言い回しを使います。例えば真福八端と呼ばれる言葉がそうです。「貧しい人は幸いだ」から始まるこの言葉、「貧乏が幸せだ」と置き換えると、首をかしげざるを得ません。「イエスさまが言った」からって言ったってダメですよ。ものすごいお金持ちである必要はありませんが、不足を感じないだけの収入は必要です。別にイエスも「貧乏が幸せ」と思っていたわけではありません。これも同じです。そうではなくて、これは「宣言」なのです。捕らわれた人々、特に不当に捕らわれた人々は解放され「なくてはならない」。目の見えない人は見え「るべきである」。打ちひしがれている人は自由に「なってほしい」。貧しい人こそが幸せでなくてはならない。それは「今日」始まるのだ。そして、その「今日」は毎日続く「今日」で、「昨日」ではなく「明日」でも「いつか」でもない「今日」なのだと伝えているのです。「主の恵みの年」=「ヨベルの年」は50年に一度、人々が解放される年です。なるほど、これらのことを「荒唐無稽」だと思うことは簡単です。だって確かに実現していないですからね。でもね、それでも何とかしようと思う人々の集まりこそが教会であって、こうやって続いてきているのです。