イエスという名
ルカによる福音書 2章15~21節
今日は「主イエス命名の日」。「クリスマスから8日目にイエスと名付けられた」と聖書にあることからきている記念日です。ちなみに8日目、というのはその日を含めて8日なので、今の数え方だとちょうど1週間です。
みなさんはそれぞれ「名前」を持っていると思います。そして、みなさんの名前は誰かが「意味を込めて」つけてくれた名前であると思います。先日「王子様」と名付けられた子が改名した、というニュースが出ていましたが、まぁちょっと行き過ぎた名前の付け方もあるとは思いますが、基本的にそれぞれ意味があるものです。当然イエスの名前にも意味があります。それは「神さまは救い」という意味です。「神さまが自分を救ってくれる」とか「この子を救ってくれる」という意味を込めてつけられた名前です。
じゃあそれが、なぜわたしたちとも関係があって、その名前をつけられた日をお祝いするのかと言えば、わたしたちはこの名前を唱えることによって「神さまが救い」であることをはっきり言い表すことができるからなのです。「イエス」という名前は、世界で一番短い信仰告白であると私は思います。どうしてわたしたちがその名前を唱えるのかと言えば、イエスが「わたしの名によって祈るように」と言い残しているからです。
お祈りをする時、絶望的な気持ちになって、何を祈るのか、口に出すのもつらい時もあります。でもそんな時でも「イエスさま・・・」とイエスの名前だけでも口に出す時、その祈りは神さまに届くのです。なぜならそこで「神さまがわたしを救ってくれる」と信じていることが明らかだからです。
物にも、人にも、すべて名前がついています。また、何かプロジェクトを始めるときに「名前」をつけることも多いです。箱根駅伝に出場している青山学院大学が、毎年駅伝の前に「今年は〇〇大作戦です」と発表していました。「話題作りかな」と思って、あまりいい気はしなかったのですが、「名前を付ける」という観点から考えると、すごく意味があるのだなと思います。名前を付けることで、それにかかわる人の考え方の方向が決まるからです。一つの方向に向けて頑張ることができるからです。ものや人の名前はとても重要なのです。
わたしたちの生活を振り返ってみて、わたしたち自身が、自分の周囲にいる人の「名前」を声に出しているでしょうか。そしてイエスさまの名前を声に出しているでしょうか。実は結構、「役職」や「役割」で呼んでしまって、全然名前を呼ばれないこともよくあるんです。難しいことですが、「役職」や「役割」で呼ばれることが多くなると、「名前」の大切さを忘れてしまうこともあるんです。「名前」を呼びましょう。いつもじゃ気恥ずかしいかもしれない、でもちゃんと呼ぶということが大切なのです。そして何より、みなさんに毎日何度も呼んでほしい名前は「イエス」という名前です。この一年、自分の周囲のものや人の名前をきちんと呼ぶこと、そして「イエス」の名前をたくさん唱える一年にしていきたいものです。