キリスト復活! 実に復活!
ヨハネによる福音書 20章1~10節
本日はイースター。復活の喜びの朝を共に迎えられたことを感謝いたします。クリスマスの方ばかりが有名ですが、イースターこそ教会の一番大切なお祝いであり、信仰の基礎であります。
みなさん"復活"と聞いてどう思われるでしょうか。クリスマスの"誕生"に比べると、わたしが言うのもなんですが"うさんくさい"とか"ありえない"と思うのではないでしょうか。生物学的に言っても、一度息の止まったものが息を吹き返す、復活するというのは本来ありえない事象であることははっきりしています。「この"復活"さえなければキリスト教を信じられるんだけど」と言われたこともあります。だから何とか科学的に説明しようと試みた入門書などもあるのですが、あくまで想像の域を出ません。
では、キリスト教の信仰自体が"迷信"ということになってしまうのでしょうか。わたしはそうではないと思います。少なくとも、マグダラのマリアをはじめ、多くの弟子たちに現れたことは聖書のたくさんの個所に記されています。
弟子たちは見てしまったのです。多数の人々が、たくさんの場所で"復活のイエスに出会った"と実感したということ、これはとても大切なことだと思います。そうでないとイエスが十字架にかかってしまった時、"つかまったら自分たちも殺される"と思って逃げてしまった弟子たちが、"つかまって殺されてもいい""それで終わりではない"と思って再び活動を始めたという大きな心境の変化の説明がつきません。また"師を見捨てて逃げてしまった"という後ろめたさにとらわれるのではなく、前を向いて生きはじめたということも言えるでしょう。少なくとも復活のイエスに出会った人々にとって"復活"真実であったということ。そして、それは今この場にいるわたしたちにとっても真実であるということがとても大切なのです。
ハリストス教会で、復活祭(イースター)において「ハリストス復活」と誰かが言うと「実に復活!」と返すあいさつがあります。「ハリストス」はロシア語読みでキリストのことです。わたしたちの習慣に合わせて言い換えると「キリスト復活」「実に復活!」という言い方になるでしょうか。少し耳慣れない表現ではありますが、わたしはこのあいさつの習慣はとてもいいものだと思います。キリストが復活したという「キリスト復活」という呼びかけ。そして復活はわたしにとって真実であるということをはっきりと示す「実に復活」という返答。なかなか納得しづらいイエスの"復活"を実感できるあいさつであると思うのです。
イエスの"復活"は、わたしたちのためでありました。イエスの"復活"によって、わたしたちの罪も取り去られ、前を向いて、これまでの生き方から転換して生きることができるようになりました。生き方を転換するというのはなかなか難しいことですが、イエスの復活は、わたしたちキリスト者が生き方を変えるとき、しかもかなり大きく変える時の強固な理由足りえます。生き方をかえる、考え方を変えることは恥ずかしかったり、今までと違うことが変だと考えたりすることはあっても、イエス様がついていてくれるなら、大きく変化することができると思うのです。イエスの復活はわたしたちにとっての変化の大きなきっかけです。
イエスは本当に"復活"された。わたしたちのために"復活"された。このように信じることが、わたしたちの生きる道に力を与えてくれます。最後にわたしたちもあいさつを交わし、イエスの復活を実感いたしましょう。「キリスト復活!」