主が備えてくれる
ルカによる福音書 21章5~19節
今日の福音書は「終末の徴」について。世の終わりが来るときにおこることや、その時の心構えなどをイエスが語ります。
しかし、「世の終わり」と言っても、なかなか想像できないんじゃないかと思います。イエスがこうやって言っていることは何となく「あてはまってる」ような気がして、今すぐ世の終わりが来るんじゃないかと心配になったりして、実際に自暴自棄になったり、事件を起こしたりした個人や団体もたくさんありましたね。そう考えていくと聖書って罪作りなものです。
その「世の終わり」に対してイエスが何を言っているのか、その中身を見てみると「惑わされないように」とか、「前もって弁明の準備をしない」とか、要するに「あまり何もしないように」ということなんですよね。まぁ確かに、冷静に考えてみますと、地震とかだったら備えておけば何とかなる部分があるとは思いますが、実際に世の終わりが来てしまったのならどんな準備をしても仕方がないじゃないかと思うんです。だって「世の終わり」なんだったら、どこへ行っても一緒だからです。それに、自分たちだけ準備して生き延びて、それがいったい何になるんだろうなぁと思ったりもします。そうではなくて、そんな先のことを憂いて、今右往左往するのなら、今目の前にあることをして、今目の前にある人を大切にすることこそが大事なんじゃないかと思うのです。
イエスは言います。「人々はあなた方を捕らえて迫害し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張っていく」 それに対してイエスは「ああ言おう、こう言おう」と考えるのではなく、「わたしがあなたがたに言葉を授ける」と言ってくれているのです。終末のことはイエスさまに任せて、わたしたちは今を生きることが大切なのだと思います。様々物が値上がりしています。新型コロナウイルスもまた流行が強くなってきました。ロシアで始まった戦争も終わる気配がありません。様々なところで、もはや世の終わりが近いのではないかという兆しも見え始めています。不安です。とても不安に駆られてしまいやすい状況です。しかし、それでもなお、わたしたちには神さまが、イエスさまがいるはずなんです。こういった先行きの不安はすべて主に委ねて、わたしたちに必要なのは「今」を生きることを大切にすることです。「主は備えてくださる」とアブラハムは言いました。それは、ただ単に神さまがわたしたちのために準備してくれる、ということだけでなく、「先のことを心配せずに、今目の前にあることと向き合う」ことの大切さを教える言葉です。いつ来るかわからない「終末」ではなく、今ここで会っている、今自分の周囲にいるすべての人や物に対して慈しむことです。神さまに委ねて、今必要なことをするだけです。「主は備えてくださる」と、神さまに不安を委ね、今目の前にあることに向かいあっていきましょう。