天の国の種

2023年07月30日

マタイによる福音書 13章31~33,44~49a

 今週の福音書は天の国について、イエスが5つのたとえで語った部分です。語られたたとえは「からし種」「パン種」「畑に隠された宝」「良い真珠を探している商人」「魚を囲みいれる網」の5つですが、それぞれニュアンスが違います。「小さいけれど大きく成長するもの」「材料に入れると大きく膨らむもの」「探し求めるもの」「自分のすべてをなげうってでも手に入れたいもの」「選ばれるもの」という感じでしょうか。かなり多くのイメージがありますが、それぞれをつなげながら少し考えてみましょう。

「からし種」は非常に小さな種ですが、大きく成長する植物です。「天の国」という種は最初は小さくても地に蒔かれれば芽を出して大きく成長していくものであると言えます。最初のきっかけは小さいものだとしても、わたしたちの心の畑で大きく成長するものです。また「パン種」はごく少量であってもパンを大きく膨らますことができます。わたしたちの中に小さな「天の国の種」が混ざると、わたしたちの周囲が大きく「天の国」に変化していきます。「天の国」というパンが大きく膨らんでいくのです。しかし一方で、「天の国の種」は隠されています。なかなか見つけることができませんが、わたしたちは「真珠」を求める商人のようにそれを探し求めています。だからこそ見つけた時には自分のすべてをなげうってでも手に入れようとします。また、意識して探していなかったとしても、世の中に隠された「天の国の種」に出会うことがあります。その時その人はやっぱりその「天の国の種」を手に入れて、大事にします。さらに、「天の国の種」は「わたしたちが選ぶ」とも言えます。隠されている種は「網」で魚を引き上げた後に食べられる魚と選別するように、たくさんのものの中から「天の国の種」を探します。「種」は決して一つではなく、たくさんあります。でも、わたしたちが見出そうとしなければ見つけることはできません。そして何より、「自分にとって良い種」を見つけなくてはならないのです。これが実に難しいことだとわたしは思います。「種」はその土地にあっていれば大きく成長しますが、気候の合わない植物だと、何とか芽を出したとしても収穫は望めません。「自分に合う」「天の国の種」を見出すことはとても大切なことなのです。

わたしたちは「天の国」の「種」を探す者たちです。それも網を打つように何度も何度も試みます。そしてまた、その種をこねて膨らませたり、畑に蒔いて育てたりする者です。それぞれ段階は違うかもしれませんが、それぞれの「天の国の種」に関わっているのです。「天の国の種」というのは、一種類ではありません。それぞれの「天の国の種」が見つかるはずですし、一人一つとは限らないからです。そしてまた、独占するものではありませんし、みんなで育てることも可能です。色々な角度から、色々な場所から「天の国」が広がっていくことで、天の国はますます豊かになっていくのです。

まだ「天の国の種」を見つけていない人は探しましょう。それは隠されているかもしれません。もし「天の国の種」を見つけたなら、畑に蒔いて育てましょう。きっと大きく成長するでしょう。もし一人では手に負えないと思ったら、ほかの人と一緒に育ててみるといいでしょう。そうすれば種は膨らんで広がります。「天の国の種」というのは、とても小さいものです。行いで言うならとても小さな行いです。誰も見ていないかもしれない小さなものかもしれません。それでも、その種を「育てる」のなら、きっと大きくなるはずです。あなたの「神の国の種」を見つけ、あるいは育て、「神の国」を大きくしていきたいものです。


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