真理に導くもの
ヨハネによる福音書 16章12~15節
聖霊降臨日が終わり、本日は三位一体主日。聖霊の降臨により父・子・聖霊の三つの位格が揃ったことから、そのお祝いの日となります。また今日は「聖霊降臨後」の節のスタートでもあります。福音書はヨハネから聖霊を与える約束をイエスがした場面です。「真理の霊が来るとあなたがたをあらゆる真理に導く」とイエスは弟子たちに告げます。
「真理の霊」つまり聖霊はわたしたちのところに来ています。でも待ってください。わたしたち、「真理に導かれた」覚えがありますか。三位一体の神について、わたしたちはもっと知りたいと思います。しかしそれを理解したという実感はありません。いくら考えてもよくわからないのが「三位一体」です。毎年この三位一体主日に「三位一体」について思いを巡らせ、今までの様々な説明を読み返してみたりもしますが、いまいちよくわからないというのが正直なところです。「あらゆる真理に導く」のではなかったのかと思ってしまいそうです。
一方で、わたしたちは「わからないから惹かれる」という側面もあると思っています。人は「謎」に惹かれる生き物ですから。「謎」を見つけると、それを「どうにかして解き明かしたい」と願い、行動します。この性質によって、人は世界をどんどん解き明かしていきました。そして今もたくさんの研究が進められ、日々多くのことが明らかになっています。これは科学的な、世界の仕組みを明らかにするようなものだけではなく、人と人との間の関係などもそうですね。わたしたちは、相手に対して「知りたい」と願いつつ関係を結び、多くの人とつながっていきます。こうやってわたしたちは様々な「真理」を知るようにつながっていくのです。
「真理」と言った時、みなさんはどんなことをイメージするでしょうか。わたしは今、単純に「世界の法則」や「科学的な発見」というイメージで語りましたが、単純に「真理」と言った時、これ以外にも様々なことが「真理」と言えるかとも思います。例えば「人と人との関係」で言えば、すべての人と関係を結ぶことのできる言葉ややり方があれば、それは「真理」と言えるかもしれません。また「すべての人と関係を結ぶなんて無理だよ」ということも、もしかしたら「真理」をついているかもしれません。歴史的な分野で言えば「イエス直筆の書」が発見されれば「真理」に近づくことができるかもしれません。いろいろな分野で「真理」と言われればいくつも出てきます。すべてに通底するような「真理」と言われると難しいものですが、「真理」は一つではなく、イエスも「あらゆる真理」と言っている以上、様々な「真理」があるのです。そしてそれらの「真理」に、わたしたちは日々近づいています。
「聖霊」がわたしたちのところに来たのですから、すぐに教えてくれればいいじゃないかと思うこともあります。でも考えてみると、わたしたちの体のほうが「真理」を知っているのかなと思うことがあります。頭では「○○しよう」と思っていてもできないことがあります。どうしても体が動かないと思っていたら、疲れすぎていてそもそもできる状態じゃなかったということもあります。わたしたちのこの体は、神さまが創造されたものです。ですから「聖霊の力」によって、もしかしたらわたしたちの「頭」よりも賢いかもしれないと思うことがあります。わたしたちはこの信仰に入った時、頭で理解して納得して信仰したというだけではないでしょう。心で感じたり、体でわかったりしたこともあったはずです。頭で考えるだけでなく、心と体で感じる、「聖霊」の働きにはそういうことも含まれているのです。だからこそ、わたしたちは日々、「真理」に近づくことができるのです