聖なる家族の肖像

2025年01月05日

マタイによる福音書 2章13~15,19~23節

今日は降誕後第2主日。明日が顕現日で、明日以降の礼拝は「顕現後」の主日として守ることになります。実はこの降誕後の「第2主日」は、降誕日の曜日によっては無くなってしまうこともある主日です。12月25日から1月6日までの11日の間に2回の主日があるかどうかで決まります。今年は久々の第2主日。福音書は毎年マタイによる福音書から、イエス一家がベツレヘムを脱出してエジプトへ行き、ユダヤではなくガリラヤのナザレに行く部分が読まれます。天使が「ヨセフに」何度も現れ、危機を告げます。ベツレヘムからエジプトへ、そしてエジプトからナザレへと夢のお告げに従ってイエス一家は移動します。

イエス一家のことを「聖家族」と言うことがあります。マリアがイエスを抱いてヨセフが見守る構図の絵画がたくさんありますね。その「聖家族」ですが、マタイによる福音書ではこの時期を最後に父であるヨセフについての記述は見られなくなります。ルカによる福音書だと12歳の時に神殿に参った時にヨセフが出てきますが、やはりそれ以降は見られなくなります。「イエスの父ヨセフはイエスが若い時に亡くなり、イエスが父の仕事である大工を継いで一家を支えた」と言われていますが、この家族が一緒にいられた期間は短かったのかもしれません。それでも父ヨセフはこの大変な時期に、神さまの力に支えられながら家族を守り抜きました。

ヨセフにとって、イエスとマリアを支えることは神さまに命じられた大切な使命でした。しかし一方で「家族」というには難しい関係であるようにも思います。ヨセフにとっては自分の子どもではないからです。だからこそ神さまはヨセフを支え続けます。人間的に考えれば、これだけ大変な出来事ばかり起こり、乳飲み子と産後すぐの妻を抱えた状況です。現代の状況でも大変です。ただでさえ一家離散になりかねない中で100キロ以上の徒歩移動を何度も繰り返すのです。神さまが支えてくださらなかったら無理だったでしょう。ヨセフは神さまに守られながら「聖なる家族」の支えとしてあり続けました。聖書にはほとんど出てきませんが、ヨセフがいなかったらイエスの十字架もなかったのではないかと思わされます。

マリアもまたイエスを抱いて長い道のりを歩み続けました。様々な不思議な出来事が起こりながらも、それらのことを「心に留めて」歩み続けたのです。産後すぐの移動に始まり、なかなか落ち着いて子どもを育てることもできないような状況です。「ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」という神からの知らせは、何とか避けることができているとはいえ、なかなか心が休まることがないでしょう。ようやくナザレに辿り着いてからは少し落ち着きましたが、イエスの弟妹達が生まれ、やはりなかなかゆっくりできる状況でもなかったでしょう。そしてヨセフがいなくなると、なんとかイエスが後を継いでくれましたが、最初はやはり大変だったのではないでしょうか。こうやってヨセフとマリアは形を変え続ける家族を守り続けていたのです。

イエスにとっても、こうやって守られた期間は大切であったように思います。特に直接守ったのはヨセフとマリアですが、一緒に「神の守り」があったこともわかっていたことでしょう。人の力で成し遂げるには難しいことですから。こうやって幼少期を守りのうちに過ごしたことが、のちの十字架につながりました。「聖なる家族」は今や世界中に広がり、たくさんの人を含む大家族になっています。わたしたちは神さまによってつながる大きな「聖なる家族」です。神さまの助けを受けて、家族としての歩みを、これから加わる人々もともに続けていきましょう。


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