不思議なことを不思議なままに

2025年12月21日

ルカによる福音書 2章1~20節

クリスマスおめでとうございます。ルカによる福音書からイエス誕生の美しい場面が読まれました。羊飼いたちに天使が現れ、救い主の誕生と民への救いを告げます。そして羊飼いたちは救い主イエスを探し当て、イエスに会いに来ます。マリアはそれらの出来事を心に留め、思い巡らしていました。わたしたちはクリスマスの出来事を良く知っています。保育園の聖誕劇も何回も見ていますし、毎年クリスマスのお話も聞いています。だからあまり疑問に思うことはないのですが、このクリスマスの出来事はとても不思議な出来事だと思います。いや、現代に置き換えたら恐怖体験かもしれませんね。

想像してみてください。自分の子どもが生まれて、そう時間が経たない時(多分1週間以内です)突然知らない人が集団で家に訪ねてきて「赤ちゃんに合わせてください」というのです。なぜかと聞けば「神のお告げがあった」と言われるわけですから、もうわけがわかりません。しかも会いに来た人たちは動物まで一緒に連れてきている。さらにその人たちは、その、ちょっと衛生的じゃない。「なんで家まで知ってるの」と思いますし、「なんで生まれたのも知ってるの」と考えてしまうと恐怖でしかありませんよね。すぐに110番です。

もちろんこれは2000年前の話ですから、今の社会に当てはめるのはいささか乱暴です。常識だって違うでしょう。それでも「不思議に思った」と言われるくらいには、このクリスマスの出来事は「不思議な」話なのです。そんな中でマリアは「これらのことをすべて心に留めて、思い巡らしていた」と記されています。わざわざそう書いてあるからには意味があるはずです。本来であれば子どもを守るために争うこともあったかもしれません。しかしマリアはそうしませんでした。

「思い巡らす」というのは難しいことです。なぜなら、みなさんも経験があるかと思いますが、わからないこと、変だと思ったことを考え続けていると、頭の中でぐるぐる回ってしまって、ネガティブな考えがどんどん浮かんできてしまうからです。少なくともこのクリスマスの出来事は、マリアにとって「不思議」どころか「怖い」出来事だったはずです。少なくともわけがわからない出来事です。それでもマリアは「思い巡らす」ことを大切にしたのです。この後イエスが成長して、たくさんの不思議な出来事が起こります。それもすべてマリアは「心に留めて」思い巡らしていました。

神さまとの関係において「不思議な出来事」はたくさん起こります。聖書にもたくさん書かれていますし、伝承もたくさん残っています。こういった「不思議な出来事」をいつも「どう解釈しようか」と考えてしまいます。科学的にはこういうことだったんじゃないか、見間違いだったのか、などなど、聖書の中の不思議な出来事は様々に解釈をされながら受け継がれてきました。なるほど、理解しがたい箇所もあるから、考えるしかない、というのはよくわかります。でも一方で「解釈して」「わかった」と思うと、何か大切なことが抜けてしまう気がするのです。わたしたちには身の回りで起きた不思議な出来事を(特に神さまに関係すること)を、「解釈」するのではなく、そのままにして思い巡らすことが必要なのではないかと思います。「不思議なことを不思議なままにする」というのは、何となく座りが悪いものです。だから解釈したくなる。「わかった」ことにしたくなる。しかし、聖書の登場人物たちはたくさん、こうやって思い巡らしながら、そのままにしながら「待つ」ことを大切にしていました。わたしたちもまた「不思議なことを不思議なままに思い巡らす」ことを忘れずに、クリスマスの出来事を始めとしたいろいろなことに向き合っていきたいと思います。


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