優先順位のはざまで
ルカによる福音書 10章38~42節
本日の福音書は「マルタとマリア」のお話。これも有名なお話ですね。ある家に迎えられたイエスをもてなそうと姉マルタが忙しく立ち働く中で、妹マリアが何もせずイエスの話を聞いています。それ見たマルタがイエスに対して不満を漏らしますが、イエスは「必要なことは一つだけだ」と言ってマルタを嗜めるのです。
わたしたちの日常生活はいろいろな出来事に満ち溢れています。会社に出勤する、学校に通学する、家事をする、全部を一つ一つこなしているのですが、今日やったことを書き出すだけで膨大な量の出来事をこなしていることがわかります。何もない一日、というのはほとんどなくて、突然訪ねてくる人がいたり、電話がかかってきたり、緊急でメールが入ったりと、なかなか落ち着いて過ごすことができないことの方が多いのではないでしょうか。そんな中でみんな、やることに優先順位をつけて順番にこなしていく、目についたものからこなすというやり方もありますね。でも何となく、なんとか整理しながら日々を過ごしているものだと思います。
そんな日常の中にイエスさまが突然家にやってきたとしたら、みなさんはどう思うでしょう。ちょっと想像してみてください。お茶も出さなきゃ、お菓子があったかしら、汚いものは隠さなきゃ、変なところ見られないようにしなきゃ、でもお話も聞きたいし・・・etc. いろいろなことを考えてしまいそうです。マルタはそんな中で「イエスや弟子たちをもてなす」ことを優先して立ち働きました。多分マルタという人は、ずっとそうしてきたのでしょうし、今回もそうしていたのです。べつにそれは間違ったことではありません。確かに誰かがしないといけないことですし、そう優先順位をつけるというのは素晴らしいことでもあります。一方でマリアは、今回はそうしませんでした。この話の印象だと、「マリアはいつも手伝わない」ような気がしてしまいますが、そんなことはどこにも書かれていません。「マリアは主の足元に座って、その話を聞いていた」とあるだけです。マリアは、「もてなすこと」と「話を聞くこと」を比べて、「今は話を聞こう」と思ったからそうしたのです。「話を聞くこと」の優先順位を上にあげたのです。それもまた素晴らしいことです。この時代の婦人たちですから、まったく働かないで話を聞いていることなどありえません。でも、その中で「主の話は聞きたい」と思って実行できることは大事だと思います。イエスはマルタに「必要なことは一つだけである」と言い聞かせます。これを聞くと「話を聞くことは良いこと」で「もてなすのは悪いこと」のように感じてしまいがちです。でも、そういう価値判断をイエスはしたわけではありません。
人間は基本的に一つのことしかできません。現代は「マルチタスク」なんて言ったりしますが、同時にいろいろなことをやるのではなく、いくつかのことを切り替えながらやっているだけです。同時にいろいろなことはできないのです。マリアは「話を聞く」ことを選び、マルタは「もてなす」ことを選んだだけです。もしマルタが話を聞くことを選んだら、誰かがもてなしをすることでしょう。逆にマリアも働いていたら、イエスの話を聞く人が誰もいなくなってしまいますからマルタが話を聞いたかもしれません。だから「自分と同じように選ばなかった」と人を責めるのではなく、自分が選んだものに集中することが大切だと思います。「選択する」ことは誰にでも許されていることです。というより人間はいろいろな選択肢を選びながら日々を生きています。だから選んだら、他の人を見るのではなく、その選んだことに集中するだけです。わたしたちは主を選びました。それでいいのです。だから主に従って歩み続けましょう。そしてほかの選択肢もまた許されているのです。
