働き手となる
マタイによる福音書 9章35節~10章8節
本日は聖霊降臨後第3主日。福音書は「12人の弟子を派遣する」部分。群衆に同情し「収穫のために働き人を送ってくれるように願いなさい」と言った後に、12人の弟子(使徒)を選び、派遣するイエス。彼らには「イスラエルの失われた羊のところに行きなさい」、そして「ただで受けたのだからただで与えなさい」と言います。
イエスの選んだ12人は「使徒」と呼ばれ、わたしたちにとっては特別な人のように思われます。しかし、彼らのことをよく見てみると、別に「特別な訓練を受けた人」とか「特別に選ばれた人」というわけではなさそうです。よく知っている通りペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネはガリラヤ湖畔の漁師ですし、フィリポとバルトロマイは洗礼者ヨハネの弟子でした。徴税人のマタイもいますし、言ってみればその辺にいる普通の人々です。イエスが拠点としていたカファルナウムの周囲ですと、漁師でなければ農民か、牧畜に携わるか、そのような働き方をしている人が多くいました。現代のように分業ではなく、みんな自分が食べるために生きていました。むしろイエスの「大工」の方が技能職ですから特別かもしれません。「イエスが選んだ」という意味では特別なのかもしれませんが、彼ら自身にとってみても「汚れた霊に対する権能」を授けられたことは、びっくりするような事態ではなかったのかと思います。みなさんだって、突然、目の前にイエスが現れて、「あなたに汚れた霊に対する権能を授けるので、病気や患いを癒やして回りなさい」と言われたらびっくりしてしまいますよね。信じて始めたとしても「気でも触れたのか」と思われてしまいそうです。
使徒たちはこの後、授けられた権能によって、悪霊を追い出し、病をいやして回ることができました。でも、繰り返して言いますが、彼らは何か「特別な訓練を受けたから」「特別な学びをしたから」そういうことができるようになったわけではありません。ただイエスによって任命されたから、悪霊を追い出すことができたのです。使徒たちはあくまで「普通の人」でした。イエスから恵みを「ただで受けて」使徒とされたのです。もちろん彼らはその後、選ばれたことによって変えられていきます。しかしその変化はゆっくりしたもので、福音書の使徒たちの言動を見ていると「普通の人」なんだろうなぁと思えますよね。彼らが文字通り「使徒」になっていくのは、復活のイエスに出会ってからです。「普通の人」が「働き手」に変わっていったのです。
この世界に生きる人たちの多くは「普通の人」です。そして、この教会に通うみなさんも「普通の人」です。一方で、みなさんはイエスによって恵みを受けています。イエスに選ばれて教会に足を運んでいるのです。実はみなさんも、イエスによって選ばれたこの「使徒たち」と同じです。「普通の人」ですが、イエスによって選ばれて、「恵み」を受けてここにいるのです。
そして「使徒たちのように」わたしたちは、復活のイエスに出会ってもいます。だから、わたしたちはその恵みによって、少しずつ変えられている途中なのです。だからこそイエスの言葉に耳を傾けることが必要です。イエスは多くの人が「羊飼いのいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれ」ました。働き手を送るように願うこと、そしてわたしは、その「働き手」に自分たちもなっていくことが大切だと思います。その「働き手」は、「普通の人」が「恵み」によって変えられていくものだからです。難しく考えることはありません。つまり「困っている人に手を貸す」ということです。待っている人のところを訪ねることです。一人ですべてをやる必要はありません。教会という群れとして、困っている人のところへ行くことを、お互いに続けていきましょう。
