分かたれた世界で
ルカによる福音書 12章49~56節
本日の福音書ではイエスが「わたしは平和ではなく、分裂をもたらすために来た」と言い出し、「時を見定めなさい」と群衆に告げる場面が読まれました。今までのイエスさまからすると、ちょっとびっくりするほど激しいですよね。
「平和ではなく分裂」となると、教会は「平和」を目指して活動をしたりもしています。なんかちょっと矛盾してしまうのではないかと心配になってしまいます。でも一方で、過去の歴史を振り返ってみると、イエスが来たから平和になったどころから、イエスが来てから教会は分裂続きの歴史です。ユダヤ教と別れてキリスト教となり、その教会自体は一時まとまったかと思えば東西教会に分裂し、さらにその中でも分裂しまくって、今やたくさんの教派が世界中にあります。そしてその中でもさらに争ったりもしています。国のことを見てみれば、古来より国が興っては滅び、合従連衡を繰り返しつつ、現代も国境が確定するどころか、国境を巡って戦争が繰り返され続けています。日本も、ずっと一つの国という感覚をお持ちの方も結構いるとは思いますが、地域ごとに別の国として日々戦争を繰り返していて、一つの国として落ち着いたのは明治になってしばらくしてからです。確かにイエスの来た後も分裂を繰り返しているというのが人類の歴史です。では。これでイエスはいったい何を言いたかったのでしょうか。
この激しい言葉の後にイエスは「時を見定めなさい」という言葉を残しています。これが大事なヒントになると思うのです。「西に雲があったら「にわか雨」」とか「南風が吹くと暑くなる」というのをわたしたちに置き換えると「夕焼けだったら明日は晴れ」とか「雪虫が舞ったら雪が近い」という感じになるでしょうか。内地・関東だと昔は「雷雨が降ると梅雨明けが近い」なんて言いましたが今でも通用するのかはわかりません。でも、多分世界中の各地にこういった「時の予兆」の言い伝えはあるでしょう。さて、ではこの文脈で、イエスが見分けるべきと言った「予兆」とは何か。それは「分裂していること」にあるのではないでしょうか。
この世界は「分かたれて」います。ありとあらゆるところでわたしたちは「分かれ」ています。本来は一つであったはずなのに、ずっと「分かれて」いるのです。瞬間的に、例えば東日本大震災後のひと時のように、「結びつき」ができて「一つに」なっていった時もあります。しかしなかなか一つになることはできていません。教会だってそうです。今、教区を合併しようとしていますけれども、「一つになる」というのはなかなか大変で、本当に大丈夫なのかと心配してしまいます。今のわたしたちに必要なのは、「今の世界は分かれている。いろいろな場面で分裂している」という現実を見定めることであろうかと思います。この教会だって一枚岩ではありません。教区だって合併を目指していますが、結構その中身は分かれています。先日の選挙で、この国がかなり分裂していることがはっきり出てきました。さて、ではそんな「分かたれた世界」で、わたしたちはどうすればよいのでしょうか。
イエスはここで何も語ってはいません。しかし、イエスの歩んだ道が、そのヒントとなるはずです。イエスは分裂した世界の中で「間をつなぐ」働きをしました。十字架ももちろんそうですが、病の人を癒やして人と人との間に回復させ、友のない人の友となり、いろいろな人と語り合いました。わたしたちもまた、同じようでありたいと思います。わたしたちの目の前にいる人たちに手を差し伸べ、交わりを深めること、それが「分かたれた世界」を「つなぐ」ことの一歩です。
