大事なこと

2023年10月29日

マタイによる福音書 22章34~46節

本日の福音書は「もっとも重要な戒め」、そして「ダビデの子」について。ファリサイ派の人々が「もっとも重要な戒め」についてイエスに尋ね、イエスは「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」を第一、「隣人を自分のように愛しなさい」を第二としてこれに答えます。続いて「メシアは誰の子か」という質問がイエスに投げかけられ、イエスがこれに答えます。

イエスが生きていたころは、「律法」が定められてから少なくとも1000年以上経過し、時代にそぐわない戒めも出てくる中で、ユダヤ教の活動が盛んにおこなわれた時期でした。そしてその1000年の間に律法を研究してできた「解釈」によって、細かい決まりなどもたくさんできてきました。自分たちの「国」ができたりなくなったり、地元育ちではない人々が出てきたりする中で、いろいろなグループが現れ、自分たちのグループの主張を盛んに行っていました。ある意味ユダヤ教の「宗教改革」の時代でもありました。民族宗教であったユダヤ教が「自分たちの民族以外の人々とどう向き合うか」ということを真剣に考えた時代だったのです。「ファリサイ派」「サドカイ派」などは聖書にも登場しますし、ほかにも「エッセネ派」というグループもありました。洗礼者ヨハネも自分の弟子を持ち、グループを形成していましたね。イエスと弟子たちもその一つであったでしょう。「もっとも重要な戒め」というのはそういったグループが「どんな考えを持ち」「何を重視したか」を端的に表すものです。「どう祈るか」と同時にしばしば問われた質問でもありました。

イエスは「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」を第一、「隣人を自分のように愛しなさい」を第二としてこれに答えます。これは非常に大切な視点で、そもそも「律法」というのは苦しい時代を生きたイスラエルの民(ユダヤ人)たちが、自分たちがバラバラにならずにアイデンティティを保って生きるために作り上げてきたものです。「神さまを大事にしなさい」そして「人を大事にしなさい」というのは、いつの時代でもどこでも通用する大切な戒めであるように思います。そこに「あなたにとって神さまとは誰」「あなたにとって隣人とは誰」という問いが入ってくるのです。わたしたちにとっては神さまは神さまですし、隣人とはわたしたちの関わるすべての人たちです。

イエスは「この二つに律法と預言者全体とがかかっているのだ」最後にまとめます。「律法全体と預言者」というのは、わたしたちが今見ているこの「旧約聖書」の当時の呼び方です。イエスは「聖書全体を貫いているテーマは、神と人を大切にして生きることだ」と喝破しているのです。イエスはわたしたちに、単純だけど大切な、一番初めに立ち戻るべき原点を教えてくれています。

「大事なこと」というのは得てして単純なものです。しかし一方で、それに対してどう向き合うかは個々人に委ねられているので複雑になってしまうものでもあります。議論で「総論賛成」ではあっても「各論」になるとややこしくなるのはよくあることですよね。わたしたちは、どんな話をしていても、この「大事なこと」に戻るようにすることで、よりよい方向に進むことができます。それが、わたしたちが神の民である証でもあるのです。そして何より、わたしたちにはイエスが示してくださった生き方があります。イエスに倣って生きること、神と人とを大切にすること、そして自分も同じくらい大切にすること。イエスの教えてくれたことを大切に、日々を営んでいきましょう。


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