どんな姿勢で生きるのか
降臨節に入って、今日は第3主日。福音書はルカから洗礼者ヨハネの話の続きが読まれます。ヨハネは「では、わたしたちはどうすればいいですか」と聞く群衆にそれぞれ「こうしなさい」と答えています。「下着や食べ物を分けなさい」「規定以上に取り立てないようにしなさい」「誰からもゆすったり、だましとったりしないようにしなさい」などなど、とても具体的に指示を出しています。
降臨節に入って、今日は第3主日。福音書はルカから洗礼者ヨハネの話の続きが読まれます。ヨハネは「では、わたしたちはどうすればいいですか」と聞く群衆にそれぞれ「こうしなさい」と答えています。「下着や食べ物を分けなさい」「規定以上に取り立てないようにしなさい」「誰からもゆすったり、だましとったりしないようにしなさい」などなど、とても具体的に指示を出しています。
降臨節に入って、今日は第2主日。福音書はルカから洗礼者ヨハネの登場です。ヨハネはイザヤの預言を宣べながら、ヨルダン川のほとりで悔い改めの洗礼を施します。
教会は今日から新しい一年が始まります。教会の一年の始まりはクリスマスを迎える準備の「降臨節」から。福音書はルカに移り、世の終わりについてのイエスの話が読まれました。イエスは「このようなことが起こるのを見たら」と繰り返し警告しています。
本日の福音書はヨハネから、イエスがピラトに尋問される様子が読まれます。最後でイエスは「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのために世に来た。真理から出た者は皆、わたしの声を聞く」とピラトに語っています。
本日の福音書はマルコから、イエスが大きな苦難、終末について語った場面が読まれました。「荒廃をもたらす憎むべき者が立ってはならない場所に立つのを見たら」と始まりますが、この言葉だけでたくさんの解釈ができそうですよね。実際、オカルト系の雑誌などでは聖書の言葉をいろいろな現実の言葉に当てはめて「今こそ世界が滅びるのだ」と解釈することがよくあります。なかなかおもしろいので時々見ていますが、時々もっともらしく感じて、うっかり信じてしまいそうになります。実際のところ1999年も、2012年も世界が滅びることはありませんでしたが、こうやって聖書は利用されることもあるんだなと思いました。
本日の福音書はマルコから、律法学者への非難とやもめの献金の話です。イエスは律法学者の普段の態度を批判したうえで、対比してやもめの献金を褒めます。少し解説するなら、見た目や態度などの外に出ている物ではなく実際どうだったか、今日の聖書箇所でしたら献金などをするときの割合などの本質を見なさい、ということですね。
本日の福音書はマルコから、律法学者とイエスの議論です。「戒めの中でどれが一番か」と問う律法学者に対して、イエスが「第一は『聞け、イスラエルよ。』、第二は『隣人を自分のように愛しなさい』だ」と答える場面です。「聞け、イスラエルよ」(シェマー・イスラエル)は、別名「シェマの祈り」とも呼ばれるもので、「わたしたちの神である主は、唯一の主である。」と続きます。これはユダヤ教の一番大切な祈りとされ、朝晩必ず唱え、札などに書いて身に着け、子どもに教えるとされているお祈りです。イエスはこれに一つ付け加えます。それが「隣人を自分のように愛しなさい」という戒めです。その上で「この二つにまさる戒めは他にはない」として、他の戒めを相対化するのです。
本日の福音書はマルコから、盲人バルティマイが癒される場面です。エリコの出口で物乞いをしていたバルティマイは、イエスが来たと知ると「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫びます。周囲が静止しても聞かず叫び続けるバルティマイをイエスは呼び寄せ「何をしてほしいのか」と問いかけます。バルティマイはそこで自分の望みを口にし、癒され、イエスに従うのです。
本日の福音書はマルコから、ヤコブとヨハネが「わたしたちを両脇に座らせてください」とイエスに願い出て却下され、イエスが「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者となり、あなたがたの中で、頭になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。」と諭す場面です。イエスは最後に「人の子は、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命をささげるために来たのである」と弟子たちに伝えます。
本日の福音書はマルコから、イエスが「永遠の命を受け継ぐこと」について質問されて、「行って持っている物を売り払って施し、それからわたしに従いなさい」と答えた場面。最後は有名な「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい」という言葉で閉められます。