説教要旨

わたしの時

2025年01月19日

顕現節も第2主日に入り、福音書はヨハネから「カナの婚礼」が読まれます。ガリラヤのカナで行われた結婚式に、マリヤと一緒にイエスと弟子たちが招待されます。婚礼のさいちゅにぶどう酒が足りなくなりますが、イエスの指示によって水がぶどう酒に変わり、式を無事終えることができた、という物語です。マリヤがイエスに「何とかしなさい」と言いますが、最初イエスは「わたしの時はまだ来ていません」と断りますが、マリヤは「この人の言いつけるとおりにしてください」と召し使いたちに言いつけ、結果として汲まれた水はぶどう酒に変化したのです。

洗礼という出発点

2025年01月12日

今日は顕現後第1主日。そして「主イエス洗礼の日」と名付けられた主日です。「顕現」は、何重にも意味のある言葉で、一つは「イエス誕生の際に明るい星が現れた」ということです。当方の博士や羊飼いが目印にした星ですね。そしてもう一つが「イエスが神の子として人々の前に現れた」ということです。イエスが洗礼を受ける際に聖霊が鳩のように降り、周囲にいた人々にもイエスが神の子だとわかった、ということです。どちらもイエスのことが周囲に公に現わされたということであり、「公現祭」ということもあります。顕現日は1月6日の固定祝日で、なかなか主日になることはありませんが、教会の暦の中ではクリスマスやイースター、聖霊降臨日に続いて大切にされるべき日でもあります。そこで第1主日に「イエスの洗礼」という顕現節の大切な意味...

聖なる家族の肖像

2025年01月05日

今日は降誕後第2主日。明日が顕現日で、明日以降の礼拝は「顕現後」の主日として守ることになります。実はこの降誕後の「第2主日」は、降誕日の曜日によっては無くなってしまうこともある主日です。12月25日から1月6日までの11日の間に2回の主日があるかどうかで決まります。今年は久々の第2主日。福音書は毎年マタイによる福音書から、イエス一家がベツレヘムを脱出してエジプトへ行き、ユダヤではなくガリラヤのナザレに行く部分が読まれます。天使が「ヨセフに」何度も現れ、危機を告げます。ベツレヘムからエジプトへ、そしてエジプトからナザレへと夢のお告げに従ってイエス一家は移動します。

クリスマスが終わり、今週はまだクリスマスのお祝いの中にあります。イエス誕生の後のしばしの休みをマリアとヨセフも過ごしていたのでしょうか。福音書はヨハネによる福音書の冒頭部分が、クリスマスの時よりも少し長く読まれます。クリスマスの日課から増えた部分には洗礼者ヨハネについて記されており、洗礼者ヨハネはイエスについて「わたしの後から来られる方は、わたしにまさっている。わたしよりも先におられたからである」と語っています。しかし、この言葉はよくわかりません。ルカによる福音書によれば、洗礼者ヨハネはイエスの親せきで、半年ほど前に生まれているはずです。だから「先にいる」のはヨハネのほうですよね。それが「イエスのほうが先」と言うのですから、どうなっているのでしょう。しかも「わたしの後から来られる方」と...

クリスマスおめでとうございます。今日はイエスさまの誕生を皆さんと共にお祝いできることを感謝いたします。今年の聖書はルカによる福音書から、イエスの誕生、そして羊飼いが訪ねてくる場面が読まれました。保育園で毎年やっている「聖誕劇」の物語の核となる部分ですね。住民登録のために自分の町へ旅立つ人々、その中に含まれるヨセフとマリヤ。劇では一瞬ですが、ナザレからベツレヘムまで100キロほどの徒歩での旅は、身重のマリヤにとっては大変だったでしょう。ベツレヘムについてからも宿がなく、宿ではないところでイエスは生まれ、飼い葉桶に寝かされます。

降臨節に入って、今日は第3主日。福音書はルカから洗礼者ヨハネの話の続きが読まれます。ヨハネは「では、わたしたちはどうすればいいですか」と聞く群衆にそれぞれ「こうしなさい」と答えています。「下着や食べ物を分けなさい」「規定以上に取り立てないようにしなさい」「誰からもゆすったり、だましとったりしないようにしなさい」などなど、とても具体的に指示を出しています。

降臨節に入って、今日は第2主日。福音書はルカから洗礼者ヨハネの登場です。ヨハネはイザヤの預言を宣べながら、ヨルダン川のほとりで悔い改めの洗礼を施します。

再臨を祝う

2024年12月01日

教会は今日から新しい一年が始まります。教会の一年の始まりはクリスマスを迎える準備の「降臨節」から。福音書はルカに移り、世の終わりについてのイエスの話が読まれました。イエスは「このようなことが起こるのを見たら」と繰り返し警告しています。

本日の福音書はヨハネから、イエスがピラトに尋問される様子が読まれます。最後でイエスは「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのために世に来た。真理から出た者は皆、わたしの声を聞く」とピラトに語っています。

読者は悟れ

2024年11月17日

本日の福音書はマルコから、イエスが大きな苦難、終末について語った場面が読まれました。「荒廃をもたらす憎むべき者が立ってはならない場所に立つのを見たら」と始まりますが、この言葉だけでたくさんの解釈ができそうですよね。実際、オカルト系の雑誌などでは聖書の言葉をいろいろな現実の言葉に当てはめて「今こそ世界が滅びるのだ」と解釈することがよくあります。なかなかおもしろいので時々見ていますが、時々もっともらしく感じて、うっかり信じてしまいそうになります。実際のところ1999年も、2012年も世界が滅びることはありませんでしたが、こうやって聖書は利用されることもあるんだなと思いました。

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