「失われた息子」のたとえ
大斎節も第4主日に入ります。福音書からは「放蕩息子のたとえ」。誰もが知っている有名なお話です。ちなみに聖書協会共同訳になって、「放蕩息子のたとえ」というタイトルが「いなくなった息子のたとえ」に変更されています。このたとえは独立して語られることも多いのですが、その前の「見失った羊のたとえ」「なくした銀貨のたとえ」と3つ合わせて「失われたもの」に対する神の態度を示した一連のたとえ話として機能していますから、考えてみればこのタイトルのほうがいいかもしれないと思います。