説教要旨

クリスマスが過ぎて、最初の日曜日。ヨハネによる福音書からイエスの誕生の意味について。「初めに言があった」と、わかりやすいようでわかりにくい言葉が続き「イエス誕生の意味」を告げます。「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿った」と、ヨハネは語ります。

クリスマスおめでとうございます。ルカによる福音書からイエス誕生の美しい場面が読まれました。羊飼いたちに天使が現れ、救い主の誕生と民への救いを告げます。そして羊飼いたちは救い主イエスを探し当て、イエスに会いに来ます。マリアはそれらの出来事を心に留め、思い巡らしていました。わたしたちはクリスマスの出来事を良く知っています。保育園の聖誕劇も何回も見ていますし、毎年クリスマスのお話も聞いています。だからあまり疑問に思うことはないのですが、このクリスマスの出来事はとても不思議な出来事だと思います。いや、現代に置き換えたら恐怖体験かもしれませんね。

降臨節も第3主日となりました。今日の福音書はマタイから洗礼者ヨハネの登場。イザヤ書の「荒れ野で叫ぶ声」の預言も引用されています。ヨハネは悔い改めの洗礼を多くの人に施し、厳しい言葉で教えます。

正さとは何か

2025年12月07日

降臨節も第2主日となりました。今日の福音書はマタイからイエスの誕生。ルカと違って、ヨセフにスポットが当たったお話になっています。マリアと婚約していたヨセフは、マリアの妊娠を知らされたので密かに離縁しようとします。しかし天使のお告げによって心を変えてマリアを迎え入れ、イエスが誕生した、という話です。イエスの名を「神はわたしたちと共にいる」という意味で「インマヌエル」と呼ばれる、という予言の言葉もここに引用されています。ここでヨセフは「正しい人であった」と記されています。その正しい人はマリアを「密かに離縁しようとした」とあるのですが、この「正しさ」ってどういうことなんでしょう。

目を覚ませ

2025年11月30日

今日から降臨節。教会は新たな一年の始まりです。福音書はマタイになり、終末についての箇所が読まれます。「目を覚ましていなさい」とイエスは警告します。

本日の福音書は「十字架にかかったイエスと二人の犯罪人」の場面。「特定」の週から、「降臨節」への切り替わりである「降臨節前主日」には、「終末」や「再臨」を意識した福音書が読まれますが、その一つです。十字架にかかったイエスをあざ笑う人々と「この方は何も悪いことはしていない」という一人の犯罪人とが対比されています。最後にイエスは「悪いことはしていない」と言った犯罪人に対して「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言い切るのです。外典によれば、この犯罪人の名前はデュスマスであり、聖人としても崇敬されていますが、聖公会ではその習慣はありません。(カトリックと正教会が聖人として扱っています)

本日の福音書は「終末について」。ウィークエンドだったら、なにをしようかと考えるところですが「SEKAI NO OWARI」だったらどうしたらいいでしょうか。歌って何とかなるならそれでもいいのですが、ちょっと考えてしまいますね。

生きている者の神

2025年11月09日

本日の福音書はサドカイ派との「復活について」の問答。レビラート婚の習慣を引きながら、「復活があったらどうするのか」と言うサドカイ派に対して、イエスは「死者は復活するし、復活後は今までの命とは違うのだ」と示してこれを退けます。最後にイエスは「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」と言います。

本日の福音書は「徴税人ザアカイ」のお話。嫌われ者の徴税人ザアカイの住むエリコの町にイエスが通りかかり、背が低かったザアカイは群衆の後ろだと見えないので、イエスを一目見ようと木に登ります。イエスはその下で足を止め、ザアカイの家に泊まると言い、ザアカイは悔い改めることになった、というお話です。エリコの町には「ザアカイが登った木」と言い伝えられる木がまだ立っているそうです。

立派な人

2025年10月26日

本日の福音書は「ファリサイ派と徴税人」のたとえ。「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々」に対してイエスが語ったとされるお話です。ファリサイ派と徴税人が神殿に行って祈った、その祈りを対比しながら「誰でも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」とイエスは語ります。

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