説教要旨

本日の福音書はイエスがカファルナウムで汚れた霊を追い出す場面。イエスがカファルナウムの会堂で教えていると、汚れた霊に取りつかれた男が絡んできますが、イエスが「黙れ、この人から出ていけ」と叱ると汚れた霊が出ていきます。人々はイエスの行動に「これはいったい何事だ。権威ある新しい教えだ。」と驚くのです。

イエスに従う

2024年01月21日

本日の福音書はイエスが4人の漁師を弟子にする場面。イエスは荒れ野から戻った後、最初に弟子たちを勧誘します。ガリラヤ湖のほとりで網を繕うペトロ・アンデレ・ヤコブ・ヨハネの4人に「わたしについてきなさい。人間を取る漁師にしよう」と声をかけ、彼らはイエスに従います。

本日の福音書はフィリポとナタナエルが弟子になる場面。「わたしに従いなさい」とイエスにイエスが「モーセが律法に記し、預言者たちも書いてある方に出会った」とナタナエルを誘います。ナタナエルは一瞬躊躇しますが、「来て、見なさい」というフィリポの言葉に促されてイエスに会い、「まことのイスラエル人だ」と言われてイエスに従います。「従いなさい」と言われて従ったフィリポはともかく、「まことのイスラエル人だ」と言われて従うのを決めたナタナエルの「従った理由」というのがよくわからない、そんな話です。「いちじくの木の下にいた」はもっとわかりません。

洗礼・聖霊・召命

2024年01月07日

本日は「主イエスの洗礼」の記念日。福音書はマルコによる福音書から洗礼の場面が読まれました。霊が鳩のようにイエスに下り「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」という声が天から聞こえます。イエスは洗礼の際に霊を受け、活動を開始します。この出来事が「顕現」や「公現」と呼ばれ、この時期にお祝いされています。「イエスの召命」とも言える出来事です。旧約聖書もイザヤ書から「第2イザヤの召命」の部分が朗読されました。

クリスマスから1週間が経った今日、教会はクリスマスのお祝いの中にあります。カトリック教会では「聖家族」の主日と言われ、ヨセフによって家族ともどもエジプトに脱出したことをおぼえてお祈りする日です。さて、今日の福音書はクリスマスとほぼ同じで、少し長くなってきます。この「少し長くなった」部分に、今日のポイントがあるのかなと思います。この部分はイエスについて「わたしたちはこの方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを与えられた」と表現しています。そして、そのイエスが「神を示した」というのです。

クリスマスおめでとうございます。本日は実際はちょっと早いですがクリスマスのお祝いです。先ほどの朗読はヨハネによる福音書の最初の部分です。「言は肉となって、私たちの間に宿った」と書かれていますが、これがクリスマスの出来事です。「言」というのは「神の言葉」のことであり、イエスのことを指しています。その「言」が「赤ちゃんとして、肉体を持ったものとして生まれた」ということを言っているわけです。

光について証する

2023年12月17日

本日の福音書はヨハネによる福音書の冒頭部分から洗礼者ヨハネについて言及されている部分が読まれます。洗礼者ヨハネは「光ではなく、光について証をするために来た」と言われます。実際自分も「わたしはメシアではない」とはっきり言いきっています。ほかにもいくつか名前が上がりますが、これらの人々は「世の終わりの前に来る」と言われていた人々であり、ヨハネはこれに対しても「わたしはそうではない」とはっきりと言い切ります。では誰なのかと問われると「わたしは荒れ野で叫ぶ者の声である」と言うのです。そして、ヨハネは「光について」証をするのです。

神の先ぶれ

2023年12月10日

本日の福音書はマルコによる福音書の冒頭部分。洗礼者ヨハネについて語られます。「主の道を備えよ。その道筋をまっすぐにせよ」と「荒れ野で叫ぶ者」として、ヨハネは「私よりも力のある方が、後から来られる。」と語ります。

本日の福音書ではイエスが「気を付けて、目を覚ましていなさい」と弟子たちに告げている場面です。このマルコによる福音書の13章は「小黙示録」とも呼ばれ、このような終末のイメージが語られます。世の終わりはいつ来るかわからないから気を付けていなさいということですね。イエスは繰り返し「目を覚ましていなさい」と語っていますが、物理的に「ずっと起きていろ」というわけではないのは、繰り返しお話ししている通りです。どんな生き物でも、ずっと起きていたら死んでしまいます。「目を覚ましていなさい」とは、わたしたちの心の目を覚まして、「いつ神さまが来てもいいように準備していなさい」ということですね。その時だけつじつま合わせをすればいいということではなくて、試験前に一夜漬けするようなことではなくて、普段から神さま...

目の前の

2023年11月26日

本日の福音書は「すべての民族を裁く」とサブタイトルがつけられている箇所です。世の終わりに人々が右と左に分けられる時の様子をイエスが語った場面です。「いつ」という言葉が何回も繰り返されどちらの人たちも「自覚がない」のにその振る舞いによって分けられる様子が描かれています。結果だけを見れば、左側にいる人たちは自業自得のように感じられます。行動するべき相手と時期を見誤った愚か者たち、と感じられる書き方になっていますよね。だから「行動する時を、助けるべき人を見極めましょう」というわけです。でも、こう結論付けてしまったら、会社的には正しいのだと思いますが、教会的には何かが違うのです。だってそうでしょう。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者」が誰なのか、わたしたちには正確にわからないからです。もしか...

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