説教要旨

今週の福音書は「ぶどう園と農夫たち」のたとえ。ぶどう園の主人がぶどう園を農夫たちに貸して旅に出ている間、農夫たちがぶどう園を自分たちのものにしようと画策し、最後には息子まで殺してしまう、そんな話です。ぶどう園は神の国、農夫たちは祭司長や律法学者、僕(しもべ)や息子は預言者たちと当てはめていくのが、一般的な解釈でしょうか。だからこそ「イエスが自分たちにあてつけてこのたとえを話した」と気がついたのであり、イエスをとらえようとまでしたのです。そして民衆はこの話を聞いたとき「そんなことがあってはなりません」と言います。わたしたちもそれは同じでしょう。確かに良くない話だなぁと思いますから。

今週の福音書は「放蕩息子」のたとえ。誰もが知っている、もしかしたらクリスチャンじゃなくても知っているお話です。父親に対して相続する分の財産を要求し家を出た弟息子は散財し、一文無しになって家に帰ってきます。その弟息子を父親は受け入れますが、まじめに家で働いていた兄息子はそれを受け入れることが難しかった、というお話です。「無くしたものが見つかった」というテーマでイエスが話した三つのたとえの最後の一つです。

今日の福音書は2つに分かれています。一応前半の件についてのたとえ話が後半なのですが、別の話をくっつけたとも言えますね。今日は前半の部分についてお話したいと思います。

みなさんは何か続けていることがありますか。そして、それに対して「止めた方がいいんじゃないか」と言われたことはありますか。今日の福音書で「ヘロデがあなたを殺そうとしている」と言ってくるファリサイ派の人に対してイエスは「今日も明日も三日目も、わたしは活動を続ける」と答えています。これは単純に「止めたらいいんじゃないか」ということよりも、ファリサイ派の人たちにとって、イエスが活動をすることが都合が悪かったからであり、イエスのためを思って言ったというよりは、自分たちのためだったようです。

聖書の言葉は

2022年03月06日

本日は大斎節の第1主日。福音書はイエスが荒れ野で悪魔から誘惑を受ける場面です。「石をパンにすること」「世界中の国々の権力と栄華を与えること」を悪魔が提案しますが、イエスは聖書の言葉を使ってそれを退けます。そして最後に悪魔は聖書の言葉を使って「神殿の屋根から飛び降りる」ことを提案しますが、やはりイエスは聖書の言葉を使って悪魔を退けるのです。最後に「悪魔はあらゆる試みをし尽して、時が来るまでイエスを離れた」と書かれています。

栄光の姿を見る

2022年02月27日

今日は大斎前主日。いよいよ水曜日から大斎節が始まります。この週の福音書は「主イエスの変容」がマタイ、マルコ、ルカのいずれかから必ず読まれることになっています。「主イエスの変容」の記念日が8月6日にありますから、そちらでもよいと思うのですが「必ず」「主日に」「主イエスの変容」が読まれることが、実は大切なのかなと考えています。

今日の福音書でイエスは「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」と言います。理念はわかりますが、なかなか難しい言葉ですね。だって、相手は「憎い」「敵」なのですから。わたしたちにとって「敵」ってなんなのでしょうね。そして、イエスはどんな相手のことを想定していたのでしょうか。

神への信頼

2022年02月13日

今日の福音書は、イエスが沢山の病人を癒して、その後弟子たちに教える場面です。「幸い」と「災い」をイエスが語ります。

お言葉ですから

2022年02月06日

今日の福音書はイエスが4人の漁師を弟子にする話。漁師たちの船に乗せてもらって群衆を教えたイエスは、さらに漁師たちにそのまま漁をするように言いつけます。「まさか獲れないだろう」と思っていたシモン・ペトロたちでしたが「お言葉ですから」とやってみることにしました。ところが彼らの思いとは裏腹にたくさんの魚が獲れ、彼らはイエスに従うことになりました。

今週の福音書は先週の続き。故郷ナザレの会堂で教え始めたイエスに対しての、村人たちの反応です。「あの人はヨセフの子ではないか」とイエスに向かった口々に言います。イエスはそれに対して「預言者は自分の故郷では歓迎されない」と言い放ち、怒った村人たちに詰め寄られますが、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去ります。

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