三位一体の名の下に
本日は三位一体主日。福音書はマタイによる福音書から「大宣教命令」と言われる個所です。ガリラヤの山でイエスに出会った弟子たちは疑いながらもイエスの命令を受け、宣教を始める、マタイによる福音書のクライマックスです。ここでイエスが「父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」と言っていることから、この個所が採用されています。
本日は三位一体主日。福音書はマタイによる福音書から「大宣教命令」と言われる個所です。ガリラヤの山でイエスに出会った弟子たちは疑いながらもイエスの命令を受け、宣教を始める、マタイによる福音書のクライマックスです。ここでイエスが「父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」と言っていることから、この個所が採用されています。
今日の福音書は復活のイエスが弟子たちの真ん中に現れ、聖霊を授ける場面です。イエスは息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と弟子たちに言います。また、その聖霊によって「誰の罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。誰の罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」というのです。
今日は復活節第7主日。復活日から始まった祝いの期節も終わりになります。また今週の18日が昇天日ですから、時系列的にはイエスが天の国に帰ってしまって聖霊が下るまでの9日間の空白の期間でもあります。そこで今日の福音書はイエスの祈り。ヨハネによる福音書のイエスが裏切りの前に神に祈りを捧げます。そして最後に父なる神に「私に与えてくださった御名によって彼らを守ってください」と願います。彼らというのは、イエスの言うところの「私に与えてくださった人々」すなわちイエスを信じる人々のことです。来週が聖霊降臨日で、「聖霊なる神」が降りますが、それまでの間、父なる神が守ってくれるように、ということでこの聖書の個所が選ばれているのでしょう。
今日の福音書も引き続きイエスの「告別説教」と言われる場面。イエスが自分のことを「わたしはぶどうの木」と言い、「わたしにつながっていなければ、実を結ぶことはできない」と言います。また、父なる神が農夫としてその世話をするのだ、というのです。
今日の福音書はイエスの「告別説教」と言われる場面。イエスが自分のことを「道であり、真理であり、命である」と言い、自分を通らなくては父のところに行くことはできないと伝えます。そして「私の名によって願うことを何でもかなえてあげよう」と約束します。
本日の福音書は「羊の囲い」のたとえ。イエスは自分のことを「羊飼い」や「羊の囲いの門」になぞらえて、天の国と自分との関係を説明します。羊たちはイエスの声を聞き分けるとイエスは言います。まぁ、わたしたちはあまり羊を飼ったことがないので、なかなかイメージができませんけど、この聖書の言葉を聞いている人にとっては、羊は身近な動物だったのでわかりやすかったのでしょう。わたしは岩見沢の幼稚園の関連施設で羊を飼っていて、その世話をしばらくしたことがあるので、なんとなく羊の生態を知っていますが、まぁ確かに、呼んだらついてくる生き物ですが、やっぱり普段世話している人のことははっきりわかってるんだなぁと思います。なるほど、確かに「声を聞き分ける」のですね。
「キリスト復活!」 さて、復活日から2週間が経過しました。今日の福音書は「エマオへの道」。エルサレムからエマオへ向かう途中の二人の弟子が復活の主と出会い、同道しますが、イエスであることに気が付かず、宿につき、パンを割く姿でイエスと気が付く、というお話。二人は「わたしたちの心は燃えていたではないか」と言いあいます。復活後、イエスはあちこちで弟子たちに現れますが、今日の福音書もそういった場面の一つです。こうやって、たくさんの弟子たちの心を燃え立たせていったことで、今日の教会があるのだなと思わされます。
「キリスト復活!」 さて、今週は復活日からちょうど1週間。福音書はヨハネから「トマスの迷い」復活のイエスが弟子たちの閉じこもる家に現れた後、その場にいなかったトマスが復活を疑うのですが、さらに1週間後にイエスはトマスの目の前に現れ、彼も信じるようになる、というお話です。みなさんよくご存じの話ですが、このお話が聖書に残っているって、すごいことだなと思うのです。「疑わずにみんな信じた」とでもするか「疑ったトマスは天罰を受けた」というほうが、なんか「らしい」と思うんですよね。
本日はイースター。復活の喜びの朝を共に迎えられたことを感謝いたします。クリスマスの方ばかりが有名ですが、イースターこそ教会の一番大切なお祝いであり、信仰の基礎であります。
今週は復活前主日。イエスのエルサレム入城の記念であると同時に、イエスの受難を記念する聖週の始まりの日でもあります。イエスの栄光と受難の二面性が入り混じった記念日です。今日の福音書はマタイによる福音書から受難の場面を読みました。主の受難の様子は何度読んでも胸が締め付けられるようで、朗読しながらいろいろ考えてしまいますね。