説教要旨

神の先ぶれ

2023年12月10日

本日の福音書はマルコによる福音書の冒頭部分。洗礼者ヨハネについて語られます。「主の道を備えよ。その道筋をまっすぐにせよ」と「荒れ野で叫ぶ者」として、ヨハネは「私よりも力のある方が、後から来られる。」と語ります。

本日の福音書ではイエスが「気を付けて、目を覚ましていなさい」と弟子たちに告げている場面です。このマルコによる福音書の13章は「小黙示録」とも呼ばれ、このような終末のイメージが語られます。世の終わりはいつ来るかわからないから気を付けていなさいということですね。イエスは繰り返し「目を覚ましていなさい」と語っていますが、物理的に「ずっと起きていろ」というわけではないのは、繰り返しお話ししている通りです。どんな生き物でも、ずっと起きていたら死んでしまいます。「目を覚ましていなさい」とは、わたしたちの心の目を覚まして、「いつ神さまが来てもいいように準備していなさい」ということですね。その時だけつじつま合わせをすればいいということではなくて、試験前に一夜漬けするようなことではなくて、普段から神さま...

目の前の

2023年11月26日

本日の福音書は「すべての民族を裁く」とサブタイトルがつけられている箇所です。世の終わりに人々が右と左に分けられる時の様子をイエスが語った場面です。「いつ」という言葉が何回も繰り返されどちらの人たちも「自覚がない」のにその振る舞いによって分けられる様子が描かれています。結果だけを見れば、左側にいる人たちは自業自得のように感じられます。行動するべき相手と時期を見誤った愚か者たち、と感じられる書き方になっていますよね。だから「行動する時を、助けるべき人を見極めましょう」というわけです。でも、こう結論付けてしまったら、会社的には正しいのだと思いますが、教会的には何かが違うのです。だってそうでしょう。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者」が誰なのか、わたしたちには正確にわからないからです。もしか...

隠さずに使う

2023年11月19日

本日の福音書は「タラントン」のたとえ。有名なお話です。主人がしもべたちに、それぞれ5タラントン、2タラントン、1タラントンを預けて旅に出ます。返ってきたとき、それぞれ5タラントン+5タラントン、2タラントン+2タラントンを差し出しますが、1タラントンを預かったしもべは怖くなってそれを隠しておき、そのことで主人に叱責されるという流れになっています。

備えていよう

2023年11月12日

本日の福音書は「十人のおとめ」のたとえ。いつその時が来てもいいように備えていた賢いおとめと、全く備えをしていなかった愚かなおとめたちが対比されています。最後にイエスが「だから目を覚ましていなさい。あなたがたはその日、その時を知らないのだから」とまとめています。

本日の福音書ではイエスが律法学者やファリサイ派の人々を非難します。彼らの言うことは正しいが、行いは見習ってはならないとイエスは言います。そして「あなたがたのうちで一番偉い人は、仕える者になりなさい」と多くの人に伝えます。

大事なこと

2023年10月29日

本日の福音書は「もっとも重要な戒め」、そして「ダビデの子」について。ファリサイ派の人々が「もっとも重要な戒め」についてイエスに尋ね、イエスは「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」を第一、「隣人を自分のように愛しなさい」を第二としてこれに答えます。続いて「メシアは誰の子か」という質問がイエスに投げかけられ、イエスがこれに答えます。

神のものは神に

2023年10月22日

本日の福音書は「皇帝への税金」の問答。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」という言葉はよく知られています。これはファリサイ派の人がイエスに対して「税金」に関する質問をした時のイエスの答えで、質問はイエスを罠にかけようとするために行われたものです。「言葉尻をとらえようとして」と書かれていますが、この質問に対して「皇帝に税金を納めなさい」と言えば「異邦人(ローマ)の支配を正当化するのか」と言うことができますし、「神に税金を納めなさい」と言えば「ローマに逆らうのか」と言うことができます。どちらに転んでもイエスを陥れることができる、一粒で二度おいしい質問です。

神の招きに応える

2023年10月15日

本日の福音書は「婚礼の祝宴」のたとえ。王が王子の婚礼の祝宴のために客を招きます。しかし招待客はいろいろな理由をつけて来なかったので、通りに出ていた人をみんな集めて祝宴を開きます。ところが、その中に礼服を着ていなかった人がいたので、その人だけが放り出されてしまいます。

独占禁止

2023年10月08日

本日の福音書は「ぶどう園と農夫」のたとえ。これも有名なお話ですね。ぶどう園を作った主人が、収穫を受け取ろうと僕たちを農夫のところへ送りますが、農夫たちはぶどう園を自分たちのものにしようと僕たちはおろか、跡取り息子まで殺してしまう、というたとえ話。「家を建てる者の捨てた石。これが隅の親石となった」とイエスは聖書を引用してまとめています。

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