自分が見失われる可能性
本日の福音書は「見失った羊のたとえ」と「無くした銀貨のたとえ」。3つの「失われたものが見いだされる」話の最初の2つのお話です。この3つのたとえはファリサイ派や律法学者たちがイエスを批判して「この人は罪人たちを受け入れ、一緒に食事をしている」と文句を言ったところから始まります。これにイエスが語ったのが「見失った羊のたとえ」「無くした銀貨のたとえ」「いなくなった息子のたとえ」(これは「放蕩息子」として有名ですね)の3つの話です。これらのたとえでイエスは「罪人」や「徴税人」を「失われたもの」、「探す人」を「神」として話を展開しています。神は決して人を見捨てることがないのだ、ということです。
