説教要旨

本日の福音書は「見失った羊のたとえ」と「無くした銀貨のたとえ」。3つの「失われたものが見いだされる」話の最初の2つのお話です。この3つのたとえはファリサイ派や律法学者たちがイエスを批判して「この人は罪人たちを受け入れ、一緒に食事をしている」と文句を言ったところから始まります。これにイエスが語ったのが「見失った羊のたとえ」「無くした銀貨のたとえ」「いなくなった息子のたとえ」(これは「放蕩息子」として有名ですね)の3つの話です。これらのたとえでイエスは「罪人」や「徴税人」を「失われたもの」、「探す人」を「神」として話を展開しています。神は決して人を見捨てることがないのだ、ということです。

主に従う厳しさ

2025年09月07日

本日の福音書はイエスがついてきた群衆に教える場面。「自分の家族を憎まないものはわたしの弟子ではない」「自分の十字架を負ってわたしに付いてくるものでなければ、わたしの弟子ではありえない」「自分の財産をことごとく捨て去るものでなければ、あなたがたのうち誰一人としてわたしの弟子ではありえない」、と厳しい言葉が続きます。この言葉を聞くと、この厳しさによってイエスが何を伝えたかったのか本当によくわからなくなってしまいます。

誰に何を返すのか

2025年08月31日

本日の福音書はイエスがファリサイ派の議員の家で食事をした時の様子。招待された人が上席を選んでいる様子を見て「上席についてはならない」と弟子たちを諭します。「誰でも、高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」とイエスは言います。そして、お返しができる人ではなく、返すことができない人を招きなさい、と言うのです。

本日の福音書ではイエスが「救われる人は少ないのでしょうか」という問いかけに対して「狭い戸口から入るように努めなさい」と答える場面です。「入ろうとしても入れない人が多い」とイエスは最後に警告しています。

分かたれた世界で

2025年08月17日

本日の福音書ではイエスが「わたしは平和ではなく、分裂をもたらすために来た」と言い出し、「時を見定めなさい」と群衆に告げる場面が読まれました。今までのイエスさまからすると、ちょっとびっくりするほど激しいですよね。

本日の福音書は「目を覚ましている僕」のたとえ。「小さな群れよ、恐れるな。」とイエスは弟子たちを励まし、「あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」と言います。そして「人の子は思いがけない時に来るから」「目を覚ましていなさい」と告げるのです。

過ぎたるはなお

2025年08月03日

本日の福音書は「愚かな金持ちのたとえ」。これは遺産の分配のことでイエスに頼る人に対して、「あらゆる貪欲に気をつけなさい」と諭し、話したたとえ話です。金持ちが、豊作だった自分の収穫物を自分で囲い込もうと倉を建て、たくわえを全部しまい込んで悦に入りますが、神から「今夜、お前の魂は取り上げられる」と言われてしまうだろう、という話です。「自分のために富を積んでも、神のために豊かにならないものはこの通りだ」とイエスはまとめています。

日ごとの糧を毎日

2025年07月27日

本日の福音書は「主の祈り」。弟子たちが「ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言ってきたので、イエスが主の祈りを授けます。またそれに続けて、「求めなさい、そうすれば与えられる」と弟子たちに教えています。

本日の福音書は「マルタとマリア」のお話。これも有名なお話ですね。ある家に迎えられたイエスをもてなそうと姉マルタが忙しく立ち働く中で、妹マリアが何もせずイエスの話を聞いています。それ見たマルタがイエスに対して不満を漏らしますが、イエスは「必要なことは一つだけだ」と言ってマルタを嗜めるのです。

本日の福音書は「よきサマリア人」のたとえ。説明不要なくらい有名なお話ですね。このたとえは、イエスを試そうとして律法の専門家が問いかけたことに対する答えであり、キリスト者の生き方を説明するときによく出てくる話でもあります。

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