死なないようにはできなかったのか
今日は大斎節第5主日。福音書はヨハネからラザロを生き返らせる場面。ラザロが死んで四日後にベタニアにやってきたイエス。マルタとマリアの姉妹と多くのユダヤ人たちが悲しんでいるところに到着します。マルタもマリアも「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と言います。イエスが憤りを覚えて墓に行き「ラザロ、出てきなさい」と呼びかけると、ラザロは生き返って墓から出てきます。
今日は大斎節第5主日。福音書はヨハネからラザロを生き返らせる場面。ラザロが死んで四日後にベタニアにやってきたイエス。マルタとマリアの姉妹と多くのユダヤ人たちが悲しんでいるところに到着します。マルタもマリアも「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と言います。イエスが憤りを覚えて墓に行き「ラザロ、出てきなさい」と呼びかけると、ラザロは生き返って墓から出てきます。
今日は大斎節第4主日。福音書はヨハネからイエスが生まれつき目の見えない人を癒やす場面。弟子たちが「先生、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか」と尋ねますが、イエスはそれを否定し「神の技がこの人に現れるためである」と言い切ります。目が見えるようになったその人はファリサイ派の人々に問い詰められますが、イエスのことを信じると言い切ります。
今日は大斎節第3主日。福音書はヨハネからサマリアの井戸での話。疲れてヤコブの井戸のところで休んでいるイエスのところにサマリア人の女性がやってきて、イエスと問答します。そして、多くの人がその女性の話を聞いてイエスを信じるようになる、という流れです。最後に、イエスを信じるようになったサマリアの人々は、その女性に対して「もうあなたが話してくれたからではなく、自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であるとわかったからである」と言います。
今日は大斎節第2主日。福音書はヨハネからニコデモとの問答。ファリサイ派の一人であったニコデモが夜、イエスのところに来て質問をします。イエスは「人は新たに生まれなければ神の国を見ることはできない」と言い、そのことに驚いたニコデモにさらに「誰でも水と霊から生まれなければ、神の国に入ることはできない」と告げます。
今日は大斎節第1主日。福音書はマタイから荒れ野の誘惑。霊に導かれて荒れ野に行ったイエスは四十日四十夜断食してから空腹を感じます。そこに悪魔が現れ、「石をパンに変えること」「神殿の屋根から飛び降りること」「自分(悪魔)を拝むこと」という誘惑をかけてきますが、イエスはその誘惑を退けます。その後、天使たちがイエスに仕えたとマタイは記しています。
今日は大斎節前主日。福音書はマタイから、イエスの姿が変わる場面。毎年この箇所が読まれ、水曜日から大斎節に突入します。ペトロとヤコブとヨハネの3人だけがイエスと共にいて、イエスの姿が光り輝く姿に変わります。モーセとイザヤも現れてイエスと語り合い、そこにペトロが口をはさみます。こうしているうちにイエスの姿が見えなくなり「これはわたしの愛する子。」という神の声が聞こえ、イエスだけがそこに残っている、という流れです。マタイではイエスが弟子たちに近寄って「手を触れて」「恐れることはない」と3人の弟子に言うのです。
今日は顕現後第5主日。福音書はマタイから、山上の説教の続き。「地の塩、世の光」「律法について」の箇所が読まれました。「塩に塩気がなかったら外に放り出される」「灯をともして升の下に置く人はいない」そして、「私が来たのは律法や預言者を廃止するためだと思ってはならない。完成するために来たのだ」とイエスは語り掛けます。
今日は顕現後第4主日。福音書はマタイから、山上の説教。イエスが山の上から教えた場面で、特に最初の「心の貧しい人々は幸いである」から始まる「真福八端」は有名です。
今日は顕現後第3主日。福音書はマタイから、イエスの宣教開始と4人の漁師を弟子にする場面。ナザレからカファルナウムの町に移って宣教を開始するイエス。そして「人間をとる漁師にしよう」と漁師たちに呼びかけ、ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネがイエスに従い弟子となります。イエスの宣教は「ガリラヤ」から始まります。
今日は顕現後第2主日。福音書はヨハネから、イエスと洗礼者ヨハネの様子。そしてヨハネの弟子がイエスについていく様子が描かれます。ヨハネが「見よ、神の小羊だ」と言うと、ヨハネの二人の弟子がイエスに従います。どこに泊まっているのか聞く弟子たちにイエスは「来なさい、そうすればわかる」と答え、弟子たちはそこについていきます。